岩下尚文著『芸者論』の誕生 ― 2008/08/07 07:14
三田完さんに教わった岩下尚文さんの本だが、三島由紀夫を描いた『見出さ れた恋 「金閣寺」への船出』ともう一冊、『芸者論 神々に扮することを忘れ た日本人』(これも雄山閣)があった。 なぜ岩下尚文さんが『芸者論』かとい えば、新橋演舞場に勤めて、その社史の執筆と編纂に関わり、演舞場の創設の 母体となった新橋花柳界を調査、明治生まれの老妓たちの証言を機会があった からだという。 岩下さんはそこで、宴という古代以来の信仰生活にもとづく 場を舞台にして、江戸以来の伝統芸能を保護継承してきた、芸者の文化的意義 についての確信を得たという。
ちょうどその頃、芸妓組合の幹部である名妓から、これまで新橋が継承して きた宮薗節が途絶える寸前と聞かされ、勧められた岩下さんは、旧交詢社にあ った稽古場に通い、千之流の全段を揚げ、名を許される。 せっかく浄瑠璃を 憶えても、三味線弾きがいなくては、語れず、継承もできない。 幸いなこと に、古曲の難しさにあえて挑み、薗八を稽古しようという藝大出身の少壮の三 味線方が現れる。 岩下さんと共に、千之流の名取となったこの人、宮薗千雄 さんが、実は雄山閣のご子息だった。 そうした縁が重なり『芸者論 神々に 扮することを忘れた日本人』は、生まれたのである。
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