はるばる訪れる神を饗応する2008/08/08 07:19

 このところ友人に頼まれて「日本人の心の源流」について書かれた原稿を読 んでいた。 その問題を考える過程で、岩下尚文さんの『芸者論』がたいへん 役に立った。 もう一冊、松岡正剛さんの『17歳のための世界と日本の見方』 (春秋社)も、参考になったのだが、その本については、また別に書く。

 『芸者論』の第一章は「神々の振舞いを演じるという、記憶の系譜(古代~ 中世)」だ。 折口信夫は日本人の信仰的な生活のあれこれを説くのに、遠い海 の彼方から、波を超えてはるばると、人間の幸福を約束するために訪れる神の ようなものの存在を仮定し、これを迎える側の私たちの祖先の饗応の仕方、そ して丁重に送り出す方法をひとつの基本的な型に仕組むという、素晴らしい方 法を打ち立てた、と岩下さんは言う。 「マレビト」といわれる考え方だろう。  この型に日本人の年中行事のさまざまな位相をあてはめれば、今に残る私たち の暮しの起源とその意味合いが、実にあざやかに説明できるというのだ。 岩 下さんが『芸者論』で説く色里についても、折口の立ち上げた型をあてはめる と、まことに筋が通るという。

 芸者の源をたどっていくと、古代の巫女に行き着く。 古代の巫女は、女性 のすべてが生まれながらにして備えていた信仰上の資格だった。 女児が裳着 (もぎ)を済ませると(12から14歳、男子の元服に当る)、自家の神に仕える べき巫女の資格を得ると共に、一人前の女性と認められた。 彼女は、神の側 近く仕えることで、時に応じて神のお告げを聞き、それを父親や兄弟に伝える ことで、その家の安全や繁栄が保たれると、古代の人々は考えていた。 巫女 である女性は、家族の幸福のために呪術も行った。

このような巫女の仕事の中で最も大切とされたのは、祭りの夜に、自分の家 あるいは村を訪ねてくる男を迎えて、一夜を共に過ごし、夜の明けぬうちに送 り出すという、神婚秘儀のつとめであった。