神の嫁、「タマフリ」と「タマシズメ」2008/08/09 07:21

 性の方面に関して、私たちの先祖がいかに自由な考えを持っていたかという ことを、まず理解してかからなければ、日本文化の本質に寄り付くことは出来 ない、と岩下尚文さんは言う。

 古代の人々の考える幸福とは、遠い海の彼方にあるところ(自分たちの先祖 の魂が寄り集う、永久の場所である常世の国)から、毎年、日を決めてはるば ると、子孫である自分たちの住むところへ訪ねてくる賓客に対して、服従を誓 うことによって得られるものである、と考えられていた。 その契約を無事に 履行してもらうためには、賓客に御馳走を差し上げ、歌舞で楽しませることは もちろん、自分たちの集団の中でも才色備えた女性を選び、一夜限りの妻とし て差し出さなければならない、と信じられていた。 そのことは、その集団が 賓客に服従することを表すとともに、その女性がお守りをしている神のたまし いが賓客に贈答される、と考えていたからだ。

 古代の人々は、人間の活力の根源はタマ(魂・霊)の新鮮さにあると考えて おり、タマが身体の中心に納まっていれば健康で、タマが身体から離れて帰っ てこなくなった時が死であると考えていた。 衰えかけた魂に活力を与えるた めには、ほかの魂を自分の魂に付着させることで増強を図らなければならない。  魂を体内の納めるべきところへ納めることをタマシズメ(鎮魂)と呼び、新た に付着させることをタマフリ(魂振)と呼んで、健康を保ち、活力を維持する ためには、どちらも大切な仕業であると考えていた。

 豊穣をもたらす側の賓客は、前の年の契約が履行された証である作物の一部 を受納するとともに、一夜妻によるタマフリを受納することで契約が更新され、 来年の豊穣を約束して帰っていくわけである。 この神と人との契約は大切な ものであるから、忘れないように、また永久に実現されるように、毎年同じ夜 に若い男と女によって演じられるようになっていく。