はるばる沖縄にやって来る神2008/08/10 06:55

 「遠い海の彼方から、はるばるやって来る神」で、私が思い出したのは、岡 本太郎の沖縄の写真だった(1959年11月~12月撮影)。 沖縄には御嶽(おた け・うたき)と呼ぶ神聖な場所があり、ノロという神聖な女性を中心に女性たち が主になって、お祭や儀式を執り行う。 岡本太郎のその写真は『岡本太郎の 沖縄』(NHK出版)、『岡本太郎が撮った「日本」』(毎日新聞社)で見ることが できる。 なぜ女性なのかということについては、「沖縄、女性優位の理由」< 小人閑居日記 2004.11.12.>に書いている。 兄弟に対して姉妹が霊的に優位 にたつというオナリ神信仰というものがあり、それが国家レベルから村落レベ ルに至る神女組織をささえているのであった。

 中沢新一さんの『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)では、網野善彦さ んの「アジール」(避難地)論を説明するのに、海のかなたから年に一度、やっ て来る神が取り上げられていた。 八重山群島のアカマタクロマタ祭祀で、御 嶽(ウタキ)に常在する神でない、海のかなたから年に一度、アカマタクロマタ という仮面の神がやって来る時には、村の人間関係や集団の組織ががらっと変 化を起して、ただの年齢階梯性だけの組織、日常生活の場では偉い人もそうで ない人も、まったく平等に振舞わなくてはならなくなる。 原初の森の中にひ っそりと作り出されていた古代のアジールと、中世の商人たちが貨幣の力と平 等な人間関係をもとに生み出そうとしていた自由の空間(貨幣は、商品の所有 者と商品との「縁」を切り、「無縁」となった商品たちが完全に平等な資格で立 ち並ぶ「市場」に集まる)とが、同じ原理をもとに作動していたのではないか、 というのだった。(「世俗の権力やしがらみが及ばない」<小人閑居日記 2005.2.3.>)