「大和魂」と「色好み」の光源氏 ― 2008/08/11 07:13
遠い昔の祭りの夜に行われた神婚劇は、後の世まで、宮廷をはじめ町や村の 末々にかけて、形を変えながら再現されて行くことになる。 天子が後宮の局 の扉を開くのも、公家が顔を隠して妻問いに及ぶのも、村の若者が隣村の娘に 夜這いを仕掛けるのも、どれも同じ神代の記憶によるもので、これを待ち受け る女も、無意識ながら、巫女の資格で臨んだ、のだそうだ。
古代以来の巫女の矜持を色濃く持ち続けていたのが、宮廷に仕える女房たち だった。 小野小町のような才気にあふれた能力を持つ巫女を多く抱えるとい うことは、神である天子にとってタマフリによる威力の増大を期待できるので、 宮廷は諸国に命じ、優れた巫女を選抜して献じさせ、次第に後宮は充実し、文 化的な整いを見せるようになる。 平安朝の後宮には古代の神々の振舞いがよ みがえり、季節の循環と恋の移ろいを重ね合わせることでめでたく国を治める という、古今和歌集の理念を共有した公家と女房たちの恋の応酬による世界が 宮廷を舞台に繰り広げられる。
岩下尚文さんは、この平安朝の貴族社会を支配した理念は「大和魂」という 言葉で代表され、その本来の意味は(戦時中の勇ましい合言葉のようでなく) 大和国を治める天子の身体に備わる不思議な威力のことだった、という。 天 子にあることは貴族にもあり、貴族にもあることは一般の人間にもあるという ように、だんだん延長されて解釈されて行くのが昔の日本人のものの考え方だ ったから、「大和魂」とは男としての魅力で女性を魅了し、それぞれを満足させ ることで家が栄える、という理想的な生活を行う才能であり、こうした甲斐性 のある男を「色好み」と呼んで尊敬の対象にした、という。
千年紀を迎えた『源氏物語』の光源氏こそ、「大和魂」と「色好み」、王朝貴 族社会の理想を投影した人物だったのだ。
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