『源氏物語』千年紀2008/08/14 07:17

 「このあたりに若紫はお控えかな?」 『紫式部日記』の寛弘5(1008)年 11月1日に、歌人の藤原公任(きんとう)から、こう話しかけられたという記 事がある。 皇子(みこ)の生誕を祝う宴で、公任は酔っていた。 「若紫」 は、『源氏物語』に登場する美少女、のちの紫の上になぞらえている、のだそう だ。 『源氏物語』はそのころ宮中でかなり読まれていたらしいという証拠に なる。 「ならば2008年が千年紀ではないか」と思いついたのは、古代学の 大家、角田文衞(ぶんえい)さんだった。 こういう記事が朝日新聞夕刊“ニ ッポン人脈記”「千年の源氏物語」に出たのは、今年の4月23日「紫の君 素 顔を見せて」と見出しのある第三回のことだった。

 見出しの下に、01年米寿記念で貴族の直衣(のうし)をまとった角田文衞さ んの写真がある。 福島生れの角田さんは『源氏物語』が好きで、考古学を学 ぼうと京都帝大へ。 学生時代、香をたきこめた着物姿で公達をきどり、京の 町をそぞろ歩いたという。 戦後、平安京跡の発掘調査などから、紫式部に思 いをはせた。 丹念に文献を読み、考古学の手法も取り入れて、古代学をうち たてる。 紫式部は女官としての呼び名で、本名はわからないのだが、「藤原香 子」という説を63年に発表した。 長年の論考をまとめた『紫式部伝』を昨 年出した。  『紫式部日記』では、藤原公任の戯れを聞き流した紫式部は、心の中で「光 源氏に似た方もいないのに、紫の上がいるもんですか」と、つぶやいたという。

 “ニッポン人脈記”が角田文衞さんを紹介してひと月もたたない5月14日、 角田文衞さんは急性呼吸器不全で亡くなった。 95歳だった。  芳賀徹さんのよびかけで今年1月に発足した源氏物語千年紀委員会では、現 在多彩な催しを展開中である。

 http://www.2008genji.jp/index.html