仏教による国づくりから、浄土信仰へ2008/08/25 05:32

 日本に仏教が正式に伝えられたのは、6世紀の欽明天皇の時代、百済から入 って来た金ピカの仏像に、さぞびっくりしただろう、と松岡正剛さんは言う。  日本にはすでに天皇が祀る神々や祖霊に対する信仰があったから、それを大事 に考える人々と、新しい仏というものに強く惹かれていく人々のあいだに、争 いが起こる。 リーダーたちは「崇仏派」と「排仏派」の二つに割れて、政治 的な対立にまで発展していく。 「崇仏派」の代表が蘇我氏、「排仏派」の代表 が物部氏、この章の見出しは「カミとホトケの戦い」となっている。 ついに 推古天皇によって仏像を信仰して仏法を盛んにせよという詔が下され、「崇仏 派」が圧倒的な優位に立つ。 推古天皇をサポートして仏教による国づくりを 推進したのが聖徳太子(←通説、実像はよくわかっていない)で、それを応援 したのが蘇我馬子だった。

 平安時代になっても、まだ政治も社会も不安定で、その名に反して、天災や 飢饉が起こるとたちまち死者と腐臭が都にあふれた不安の時代だった。 そこ へもってきて、釈迦の死後2000年後にこの世の終りが来るという「末法思想」 が大流行した。 宇治の平等院が建てられた1052年がその末法の始まりだと 噂され、仏の慈悲にすがれば浄土に行けるという「浄土教」が大流行していく。

『寒暖700年周期説』<等々力短信 第990号 2008.8.25.>2008/08/25 05:34

 世の中の関心は地球温暖化問題一色になっている。 それで思い出したのが、 学生時代に文化地理研究会というクラブでご指導いただいた西岡秀雄先生のこ とである。 先生は「寒暖の歴史 気候700年周期説」を唱えられていたが、 現在2008年は700年周期のどのへんにあたるのだろうか、という疑問が浮ん だのだ。 インターネットの古本屋を探し、『気候700年周期説 寒暖の歴史』 (好学社・昭和47(1972)年第19版増補改訂版)を入手した。 西岡先生は、 日本に生育した老樹の年輪、河川湖沼の凍結記録、アシカのような北洋海獣の 南下、ハイガイその他の特殊魚介類の消長、東北に多く出土する遮光器土器(雪 めがねだと考える)、トチノキ自生地帯の推移、桜の開花時期の遅速、オーロラ の出現頻度、近年の気温上昇化現象、遊牧民族の移動、等々多方面の資料を駆 使して、日本のみならず世界で、約700年を一波長とする寒暖の波が過去数千 年間に繰り返し訪れているという事実を見出し、仮説として世に問うている。

 西岡先生は「気候700年周期」の原因を、太陽活動に内在するエネルギーの 周期にあると考えている。 原因としての「炭酸ガス説」も検討、その弱点を 列挙していた。

 気候700年周期を、日本の政治史、文化史で見てみると、政治の中心が、暖 かい奈良・平安時代には関西地方に占められていたが、寒い鎌倉時代には関東 地方に政権の中心が移った。 しかも暖かい室町・桃山時代には、再び関西へ、 そして寒い江戸時代とそれに続く明治時代には関東へという具合になる。 文 化史では、暖かい奈良・平安時代には明るくロマンチックな王朝文化が栄え、 寒い鎌倉時代には質実剛健の気風がみなぎる。 暖かい室町・桃山時代には、 再び絵画・建築・庭園などの文化が進み、寒い江戸末期は天保・天明の大飢饉 を始め社会不安が次第に増大していった、というのである。

 私の疑問だが「寒暖700年周期年表(西岡秀雄原図)」(『シリーズ私の講義 (4)西岡秀雄集』1967年・大門出版)のグラフによると、16世紀前半が最暖 期だったから、つぎの暖のピークは23世紀前半のあたりに来ることになる(下 記の帯の計算は誤り)。

 8月7日、94歳の西岡秀雄先生は『寒暖700年周期説』(PHP研究所)を 出版された。 1978年刊行の自著を改訂・改題したものだ。 帯に「温暖化の 原因はCO2だけではない! 最寒気(期か?)だった鎌倉時代から数えると700 年後の21世紀半ばには最暖気(期?)を迎える。昨今の温暖化はその道筋に 過ぎない」とある。