柴又吟行の結果と、わが選句2008/10/01 06:44

 柴又吟行の句会の結果だが、枇杷の会は、たえず句会に出ている上手い人も 多く、みんな腕を上げてきている。 そんな中で、先日の上野・湯島吟行で採 ってもらえなかった英主宰に、5句も採っていただくことが出来た。 ほかの 方は4票で合計9票、まずまずというところだったが、気分は上々であった。

 主宰の選評。 〈木彫の鴨菊薄秋の昼〉…季題の「秋の昼」この置き方で無 難だろう。〈曼珠沙華ご無沙汰に過ぎ墓参り〉…親族というより、恩師とかか、 「過ぎ」は「過ぐ」の方がいい。 〈江戸川の此岸の町の野菊かな〉…此岸が どちらかといわれるかもしれない、生死を分ける彼岸此岸と、現実的の町と両 方を詠んで、匂うようなロマンチシズムを感じる(照れくさい過褒。この句、 孝治さん、知水さん、貴聖さんも採ってくれた)。 〈寅さんの土手に上がれば 秋の水〉…寅さんの句が何句かあったが、季題が働いているかどうか問題、こ れは採れた。 〈すべるごと矢切の渡し秋の水〉…肩肘を張らずにそのままを 詠んでいて、映像が見えてくる。 ほかに〈爽やかや庭園めぐる木の廊下〉を 貴聖さんに採ってもらった。

 私の選句は、次の七句。

回廊に神水秋は澄みにけり     洋太

彫刻の生老病死秋の風       知水

ゆつくりと人動きおり秋の寺    孝治

身ほとりに水の匂ひや薄紅葉    洋太

マドンナを待つ渡し舟彼岸花    善兵衛

秋の日を独り占めして河川敷    孝治

秋雲や寅さんそこにゐるような   洋太

「古今亭志ん朝 追悼 落語会」2008/10/02 07:11

 9月29日、落語研究会四十周年記念「古今亭志ん朝 追悼 落語会」が国立小 劇場であった。 8月の落語研究会で申し込んでおいたのが当選して、40年間 で初めて招待券で落語を聴いた。 志ん朝が死んだのは2001年10月1日、ま る7年になる。 63歳という若さだった。

「道灌」    古今亭 朝太

「猫の皿」   三遊亭 歌武蔵

「お見立て」  古今亭 志ん輔

      仲入

〈鼎談〉志ん橋・志ん輔・朝太 司会…竹内香苗アナ(TBS)

「岸柳島」   林家 正蔵

「抜け雀」   古今亭 志ん橋

 鼎談をした三人は志ん朝の弟子だが、歌武蔵と正蔵は違う。 ふたりの志ん 朝との関わりは、それぞれのマクラで明らかになっていく。

 朝太は志ん朝最後の弟子で、三年間だけの付き合いという。 ヌーボーとし た顔をしている。 前座噺の「からぬけ」は兄弟子の八朝に、この「道灌」は 志ん朝に直接教わった。 一度やってみせただけだったが、テープに録ってい いよ、と言われた。 考えてみれば、前座噺「道灌」の志ん朝のテープを持っ ているなんて、自分だけだろうから、金に困った時は高く売れるに違いない。  今度探してみたら見つからない、失くしちゃいました。

歌武蔵と正蔵の「志ん朝」2008/10/03 07:18

 「猫の皿」をやった三遊亭歌武蔵は、晩年の志ん朝に目をかけられていたの だそうで、紀伊國屋落語会の楽屋に稽古を頼みに行ったら、いいよ、いついつ おいでと約束してくれ、その会の打上げから、二次会で矢来町のお宅までつい て行った。 しかし稽古は、直前に志ん朝の都合でダメになった。 夏の住吉 踊りにも出てくれと口説かれた。 踊りは兄弟子(女性でも)の小圓歌にかっ ぽれや深川を教わってはいたが、ラジオ体操みたいになってしまう、体型も体 型なので参加することがなかったが、一度でも出ればよかったと思う。 故郷 の岐阜の落語会に、志ん朝夫妻で来てもらったことがあった。 日本三大温泉 の一つという下呂温泉、志ん五が「飲み放題みんなで行こう下呂温泉」と言っ た。 一番大きな旅館の大露天風呂で、志ん朝がタオルで鉢巻をして、すっぽ んぽん、平泳ぎで泳ぐのを見た。 背中を流させてもらった。

「岸柳島」の林家正蔵は、中学二年生の時、TBSの落語特選会(つまり落語 研究会の放送)で、志ん朝を見た。 三平の弟子にオチケン出の兄さん達がい て、テレビを見たいのだけれど、師匠の家だから、息子をダシにした。 榎本 滋民先生の顔は、中学の物理の先生そっくりだった。 志ん朝は「唐茄子屋政 談」をやった。 驚いた、江戸の景色が見える、吉原が、吾妻橋が、本所の達 磨横丁が、田原町の誓願寺店(だな)の景色が見える。 落語って、かっこい いな、と思った。 うちのオヤジの噺は、何も見えません。

志ん橋・志ん輔・朝太、弟子達の「志ん朝」2008/10/04 07:10

 〈鼎談〉とマクラから、志ん橋・志ん輔・朝太、三人の弟子たちの「志ん朝」 も書いておく。 朝太は最後の弟子で、師匠の息子さんよりも年下だから、子 供のように接してもらった、親しみのあるやさしい、フレンドリーな師匠だっ た。 それに対し、昭和44年入門の志ん橋は、志ん朝が「鬼平犯科帳」のス ターの頃で、口もきいてくれなかった、お茶をいれましょうかと聞いても、返 事をしない。 三回目に、いれたきゃ、どうぞ、といわれた。 感じが悪かっ た。 前座の修業が終わって、二ッ目になると少し変わったが…、と。

 志ん輔は、毎年元旦には師匠の所へ行っていたので、行く所がなくなった。  命日が10月1日なので、毎月1日にお墓参りに行く。 まだ、師匠がそのへ んにいる感じがする。 鈴本で「お見立て」をやっていたら、スッと師匠が降 りて来た。 その頃ゆっくりした調子でしゃべっていたのだが、降りて来て押 すので、ついテンポよくしゃべる。 大受けに受けた、今日よりもずっと。 御 者が馬を押し出す感じ。 4回、降りてきた。

 志ん橋は、ほめられたことは、一度もない、という。 怒られたことばかり。  おかみさんとも、ぶつかった。 そうしたら、車で師匠と二人になった時、「一 番身近な人を、いい気持にさせなきゃ、だめだよ」と言われた。 師匠にくっ ついて、よく旅をしたが、無呼吸症候群でイビキが凄い。 地方のホテルで、 いっしょにダブルベッドに寝た時は最悪、ドンと弾んだ。 グリーン車で、ほ かのお客さんの迷惑になるからと、車掌に起されたこともあった。 師匠はそ そっかしい、財布も切符も持たずに出かけ、東京駅前の交番でお巡りさんのプ ライベートのお金を借りて、旅に行ったこともあった。

落語研究会・王樂の「蔵前駕籠」2008/10/05 06:57

 実は「古今亭志ん朝 追悼 落語会」の翌日、9月30日が第483回の落語研 究会で、二晩続けて国立小劇場へ出かけた。 さらに3日は慶應オチケンOB の「落楽名人会」が深川江戸資料館小劇場であり、この週は三晩の落語三昧と なったのだった。

 第483回落語研究会は、素晴しい会になった。 「追悼落語会」を端折って、 そちらに進む。

「蔵前駕籠」     三遊亭 王樂

「鬼の面」      柳家 一琴

「刀屋」       柳家 花緑

        仲入

「盃の殿様」     柳家 小満ん

「中村仲蔵」     春風亭 正朝

 三遊亭王樂は黒紋付に茶髪、円楽の27番目、最後の弟子で、巷では二代目 星の王子様と呼ばれている、という。 「笑点」に出ている好楽のセガレだそ うだが、瓜実顔で、ニコニコした丸顔には似ていない。 珍しいことに、親子 で兄弟弟子、父親を兄サンと呼ぶ関係だ。 「蔵前駕籠」をしっかりと演じて、 期待が持てると思った。 そういえば、オヤジさんのちゃんとした噺は聴いた 憶えがない。 三平さんのところと、同じ関係かな。