歌武蔵と正蔵の「志ん朝」2008/10/03 07:18

 「猫の皿」をやった三遊亭歌武蔵は、晩年の志ん朝に目をかけられていたの だそうで、紀伊國屋落語会の楽屋に稽古を頼みに行ったら、いいよ、いついつ おいでと約束してくれ、その会の打上げから、二次会で矢来町のお宅までつい て行った。 しかし稽古は、直前に志ん朝の都合でダメになった。 夏の住吉 踊りにも出てくれと口説かれた。 踊りは兄弟子(女性でも)の小圓歌にかっ ぽれや深川を教わってはいたが、ラジオ体操みたいになってしまう、体型も体 型なので参加することがなかったが、一度でも出ればよかったと思う。 故郷 の岐阜の落語会に、志ん朝夫妻で来てもらったことがあった。 日本三大温泉 の一つという下呂温泉、志ん五が「飲み放題みんなで行こう下呂温泉」と言っ た。 一番大きな旅館の大露天風呂で、志ん朝がタオルで鉢巻をして、すっぽ んぽん、平泳ぎで泳ぐのを見た。 背中を流させてもらった。

「岸柳島」の林家正蔵は、中学二年生の時、TBSの落語特選会(つまり落語 研究会の放送)で、志ん朝を見た。 三平の弟子にオチケン出の兄さん達がい て、テレビを見たいのだけれど、師匠の家だから、息子をダシにした。 榎本 滋民先生の顔は、中学の物理の先生そっくりだった。 志ん朝は「唐茄子屋政 談」をやった。 驚いた、江戸の景色が見える、吉原が、吾妻橋が、本所の達 磨横丁が、田原町の誓願寺店(だな)の景色が見える。 落語って、かっこい いな、と思った。 うちのオヤジの噺は、何も見えません。