小満んの「盃の殿様」吉原まで2008/10/09 07:18

 柳家小満んの名は<小人閑居日記>の「落語」を検索しても出て来なかった。  顔には憶えがある。 ずいぶん、年を取った(調べてみたら、私より一つ下)。  そして、上手くなっていた。 桂文楽門下で、桂小勇といったが、師の死去で 小さんの門下に移り、昭和50(1975)年(私が短信を始めた年)柳家小満ん で真打になっている。

 殿様の噺が好きだ。 この「盃の殿様」も、いい。 参勤交代で江戸に来て いる殿様が気鬱症、つまりうつ病になる。 ご機嫌伺いのお坊主・珍斎が気晴 らしに見せた、歌川豊国の浮世絵「全盛六花選花くらべ」の新吉原町の傾城に、 殿様の目が留まる。 こんな美人が本当にいるのか、「今宵、求めに参るぞ」と なって、呼ばれたご意見番の上村弥十郎が説得に当たる。 殿様は、今日限り 薬は飲まぬ、この身は死すとも、と言い出し、医者の進言で、病気保養のため、 見物だけならばよかろう、ご公儀も大丈夫だろうということになる。

 ご大身の大名、ご本格ということで、同勢360何人の行列で出かけ、それで も吉原(なか)では20数名で御茶屋へ。 江戸留守居役は普段から遊びが商 売だから、万事手配をして、花魁道中を見物、殿様は五番目の当時全盛の花扇 が気に入る。 盃の相手を申しつけると言い出し、また「薬は飲まぬ」ひと悶 着があって一泊、一晩のご愉快で気鬱症の八割方はすっ飛んだ。(つづく)