正朝の「中村仲蔵」2008/10/13 07:23

 ちょいと、旅に出ていて、二日間お休みした。 性懲りもなく、まだ9月30 日の落語研究会である。 もういい加減にしろと、大向こうから声がかかりそ うで、正朝さんには少しお気の毒だ。 トリはその春風亭正朝で「中村仲蔵」、 ご存知江戸中期の歌舞伎役者初代中村仲蔵が『仮名手本忠臣蔵』五段目の斧定 九郎役を工夫し、現在につながる型を創造した苦労噺である。 正朝は、「中村 仲蔵」を夫婦愛の物語にと狙いをつけ、見事に成功した。 

 一番下っ端の稲荷町から上がっていった仲蔵が、相中から大部屋出ではなれ ないはずの名題にまで出世した。 それなのに相中のやる斧定九郎たった一役 の割り当て、くさる仲蔵に女房お岸は、「訳があるはず、お前さんじゃなきゃで きない定九郎を工夫しろという座頭のナゾだよ」と言う。

 苦労して工夫はしたものの不安で、もしやりそこなったら江戸にはいられな い、上方で両三年修業してくるつもりだという仲蔵に、お岸は「大丈夫だよ、 工夫はいいと思うよ、思う存分芝居をしておくれよ」。 正朝は「夢でもよいか ら持ちたいものは、金のなる木と、よい女房」と。

 てっきり、やりそこなったと思った仲蔵、上方へ行く途中の日本橋の魚河岸 で、今日の中村仲蔵の定九郎はよかったなんてもんじゃないと、評判している のを聞く。 一人でもわかってくれる人がいた、女房に知らせようと、戻る途 中で守田座の番頭に会う。 親方・勧進元・座頭三人揃ったところで褒められ た仲蔵、女房にそれを知らせるために帰ろうとすると、そこにはもう女房が呼 ばれていた。 そのさりげない女房との対面に、ジンと来るものがあった。 正 朝は、女をやらせたらなかなかのものであるということが、改めてわかった「中 村仲蔵」だった。