文化も担った「地方名望家」2008/10/15 07:19

 今回の旅行では、長岡三田会の反町和夫会長にコースの全てを車で先導して ご案内いただいたのを始め、小千谷、十日町、柏崎の三田会の方々のお世話に なった。 11日に宿泊したニューオータニ長岡の夕食は、皆様とご一緒して、 お話を聞く機会もあった。 反町家のご親戚には、『一古書肆の思い出』(平凡 社ライブラリー)の反町弘文荘・反町茂雄さん、サッカーの反町康治北京オリ ンピック監督などがいらっしゃる。 小千谷では、西脇順三郎先生と関わりの ある場所を見学したのだが、その西脇家も小千谷銀行を経営されるなどの、福 沢のいわゆる「地方名望家」で、夕食会に来られた若い西脇さんによると、私 がフランス語を習った横部得三郎先生も西脇家の出ということだった。 余談 だが、私の記憶では、横部先生はいつも酔っ払っていて、われわれは「酔っ払 った」フランス語を習ったのであった。 前期と後期に、同じ試験問題が出た のには、びっくりした。

 地方の三田会の方々は、そこの商工会議所の主要メンバーでもあり、福沢の 唱えた「地方分権」の核となる「地方名望家」「ミッヅルカラッス」であること を、福澤協会の旅行に出かけると実感することが多い。 とくに長岡を中心に した今回の新潟では、その「地方名望家」が単に経済の分野だけでなく、文化 の面でも貢献し、人材を輩出していることを知ることが出来たのだった。 12 日、柏崎で見学した黒船館の、吉田正太郎・吉田小五郎兄弟のコレクションも、 その一つの証明である。 吉田家は花田屋という老舗呉服店で、兄の正太郎氏 はペリー黒船来航に関する日本一のコレクションをし、川上澄生や北大路魯山 人、柳宗悦とも交遊があった。 慶應の幼稚舎長を務めキリシタン研究で知ら れる弟の小五郎氏は、明治の一時期に輝いた石版画のコレクターであった。