松浦寿輝さんの柄傘(カラカサ)の話 ― 2008/11/03 07:14
1日の土曜日、三田へ折口信夫・池田弥三郎記念講演会を聴きに行った。 お 一人目は松浦寿輝(ひさき)さん、5月30日に場所も同じ北館ホールの福澤研 究センター開設25年記念講演会で、「福澤諭吉のアレゴリー的思考」を聴き、 感心して6月8日から11日の日記に書いた(略歴は8日にある)。 今回も、 とても面白い話をしてくれた。 世の中には、なんとも頭がよくて、話も上手 い人がいるものだということを実感させられる、お一人である。
演題は「柄傘(カラカサ)と力足(チカラアシ)―〈気〉と〈土〉の詩学」。 折口信夫の「まれびと」は、なぜ簑笠をかぶっているのか、を考える。 まず、柄傘。 「国文学の発生(第二稿)」(1924年)に、流民として漂(う か)れ歩き、巡遊が一つの生活様式となっていた「うかれびと」(女性は「うか れ女(め)」)が出てくる。 諸国をまわり食い扶持を稼ぐ放浪芸能民である彼 らは、柄傘(カラカサ)の下で、歌い、舞い、時に売春した。 近世芸術は、 ほとんど柄傘の下で発達したといってもよいくらい、音曲・演劇・舞踏に大事 な役目をしている、と折口は書いている。 傘の下は、神事に預かる主なもの の居る場所である。 松浦寿輝さんは言う、定住の場所から切り離されて、そ れゆえ自由な「うかれびと」は、大地から流離し、浮いている存在なのだけれ ど、柄傘を立てた下だけは、大地との関係が生ずる、と。 柄傘は、うかれ漂 い出ようとするものを、上から押さえつけるもの、大地につなぎとめる、人間 を大地に引き止める装置になる。 仮の小空間、芝居小屋、快楽空間であり、 定住農耕民にすれば、現実世界の掟から切り離される解放区となる。 折口が 詩的インスピレーションで語ったこの放浪芸能民を、後に網野善彦が学問的に 網野史学として豊かに展開してみせた。(当然、つづく)
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