椨(タブノキ)の正体 ― 2008/11/06 07:06
昭和55(1980)年3月7日、池田弥三郎さんが三田を去るにあたって、折 口信夫先生の記念にと、三田の山の上に80本ほど「たぶ」を植えた。 その 「たぶ」の苗木は横浜国立大学の宮脇昭教授の好意によるもので、宮脇さんは 当日、三田に出向いて植樹に立ち会ったと、池田弥三郎著『魚津だより』(毎日 新聞社)にある。 その文章の抄録と、その時の写真とが『三田評論』2007 年11月号の「慶應義塾、一枚の写真」にある。
11月1日の折口信夫・池田弥三郎記念講演会の、もう一人の講演者は文芸評 論家の梶木剛さんで、「椨(たぶのき)のある風景」という話だった。 タブノ キの正体がわかってきたのは、ここ数十年のことである、と梶木剛さんはいう。 折口信夫が80年近く前の『古代研究』(昭和5(1930)年)の口絵に能登のタ ブノキの大木の写真を載せている。 しかし、なぜタブノキか説明がなく、「た ぶ」についての記述も断片的だったため(文献的にほとんど初出かと思われる という)、池田弥三郎さんは横浜国立大学の宮脇昭教授を訪ね(昭和54年と推 定)いろいろと質問した。 宮脇昭教授は昭和30年代後半に、それまでよく わからなかったタブノキの正体を、ほぼつきとめていた。 水稲耕作を伴う弥 生時代が始まるより以前、関東以西の植生は、タブノキを含むシイ、カシ類、 ヤブツバキなどの常緑広葉樹林であった。 水稲耕作が始まると、水田にする ために常緑広葉樹林は伐られ、松、モミ、ツガなど針葉樹やクヌギ、コナラな どの夏緑広葉樹が生えるようになる。
東アジアのヒマラヤ南面から、シナ南部、日本の関東以西までの常緑広葉樹 林に発達した文化を、中尾佐助さんは『栽培植物と農耕の起源』(昭和41(1966) 年・岩波新書)などで、照葉樹林文化と呼んだ。 照葉樹林は濃緑色の光った 葉を持つ密生した森林で、日本でいえば、クス、シイ、イヌグスのような木を いう。 このイヌグスが、タブノキである。
日本の関東以西の本来の植生(潜在自然植生)、つまり「ふるさとの木」は、 タブノキを主とした照葉樹林で、例えば三田の山を放っておくと、タブやスダ ジイの林になると、梶木剛さんは語った。
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