慶應義塾創立150年記念式典、天皇陛下の「おことば」 ― 2008/11/11 07:09
8日の慶應義塾創立150年記念式典は、三田会場に割り当てられたので、雨 の中を出かけて、西校舎のホールでスクリーンの中継を見ながら、参加した。 日吉の屋外、皆さんビニールのレインコート姿だった陸上競技場の座席は、と ても寒かったと、後で聞いた。 スクリーンで見ていても、感激だった。 式 典前プログラムでは、私が高校2年生だった百年祭の時に出来た堀口大學作詞、 團伊玖磨作曲の「慶應義塾創立百年記念祝典曲」に織り込まれた「若き血」の メロディーのあたり、「いや、いやさかに、栄えゆく」のエンディング、そして 式典閉会前の「慶應義塾塾歌」斉唱では、目に熱いものがこみあげてきた。
天皇陛下の「おことば」も感動的だった。 陛下は左のポケットに手を入れ、 つぎに右を探って(ちょっと心配させて)無事、原稿をお出しになった。 こ んなに長い天皇陛下のスピーチを聞いたのは、初めてだった。 ご自分の言葉 で語られている、という感じがした。 天皇皇后両陛下の、小泉信三さんを通 じての慶應義塾への思いが込められているように思われた。 仄聞したところ では、天皇陛下はご自分で原稿を書かれ、安西祐一郎塾長を呼んで相談された ということだった。 教えてくれた方がいるので、全文を紹介しておく。
慶應義塾創立百五十年に当たり、海外からの参列者を含む大勢の関係者と共に、 この記念式典に臨むことを喜ばしく思います。
慶應義塾はその創立者、福澤諭吉が、今から百五十年前の安政五年、一八五八 年に江戸に蘭学塾を開いたことに始まりますが、この蘭学塾が開かれた一八五八 年は、日本にとっても誠に重大な年でありました。それまで日本は、ほぼ二百年 にわたり鎖国政策を続けていましたが、嘉永六年、一八五三年に来航した米国艦 隊のペリー提督との交渉の結果、もはやその政策を維持することができなくなり、 米、英、仏、露、蘭の五カ国と修好通商条約を結び、開国に向かって歩み出しま した。一八五八年は、これらの条約を調印した年でありましたが、開国支持者と、 それに反対する勢力が争う中での、厳しい出発でありました。このような困難な 状況の中で、世界の情勢と欧州の文物を、オランダ語を通して学んでいた人々が、 開国した日本を支える上に、重要な役割を果たしました。申すまでもなく、福澤 諭吉はその一人であり、著作を通じ、また慶應義塾の教育を通して、我が国の人々 に大きな影響を与えました。そうした中、日本は修好通商条約調印から三十一年 にして、大日本帝国憲法を発布し、翌年には、第一回帝国議会を開くまでに近代 国家としての制度を整えるに至っています。長い平和な鎖国時代に国民が文化を 享受し、国民の識字率も高い状態にあったとは申せ、このように短期間に国が発 展した陰には、当時の志ある人々が、いかばかり努力をしたかとの思いを深くす るのであります。
慶應義塾は、今日まで、福澤諭吉の教えである「独立自尊」の精神を基に、我 が国の各分野において、国の発展と国民の幸せに貢献する多くの人々を育て、ま た、文化の向上に寄与すると共に、外国人留学生の受け入れなど国際交流にも意 を用いてきました。
今日、我が国は、幾多の課題に直面しており、また、国際社会において、日本 が各国との協力の下に対処していかなければならない問題も少なくありません。 このような状況下、教育が果たすべき役割は、誠に重要であり、今後も慶應義塾 が、国の内外で活躍する人材を数多く育て、送り出すことを期待しています。
創立百五十年という、この喜ぶべき節目の年に当たり、慶應義塾と我が国の歴 史を併せて顧み、塾の関係者が、これからの日々の歩みにおいても、教育に、研 究に、更なる力を尽くされることを願い、私のお祝いの言葉といたします。
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