佐高信さんの「平熱の思想家、福沢諭吉」2008/12/03 07:08

 11月26日は第687回三田演説会、佐高信(さたか まこと)さんの「平熱 の思想家、福沢諭吉」を聴きに行った。 三田演説館では満員が予想されたの で、少し早めに出かけたら、北館のホールに会場が変更されていた。 佐高信 さんは、『週刊金曜日』の発行人・編集委員を務める辛口の評論家、『夕刊フジ』 の連載「福沢諭吉紀行」を最近『福沢諭吉伝説』(角川学芸出版)という本にし た。

 ここに立っているのが場違いな感じがする、と佐高さんは言う。 慶應の雰 囲気にはずっとなじめず、まっすぐ卒業した気がしない、と。 昭和20年山 形県酒田市生れ、昭和42年法学部法律学科卒業、峯村光郎ゼミ。 駒込にあ る荘内の学生寮にいたが、三田にはあまり来ないで、ほかの大学に潜り込んで 東大の丸山真男さんなどの講義を聴いていた。 郷里との関係で『西郷隆盛伝 説』を書き、つぎは何を書こうかと思っていたら、同窓の産経新聞住田良能社 長に「福沢を書く気はないのか」と言われた。 福沢創刊の『時事新報』の看 板を預かっている産経新聞として、義塾創立150年に何らかの顕彰をしたいと いう気持があったらしい。 どこから書こうかと思っている時に、中津の福沢 旧邸近くの豆腐屋に生れた、旧知の松下竜一と、彼が書いた福沢の又従兄弟増 田宋太郎の伝記『疾風の人』(朝日新聞社)を思い出した。 それは絶妙の思い 出しだった。

 佐高さんは、亡き松下に案内されて、福沢旧邸も見たことがあった。 増田 宋太郎は西洋かぶれの福沢を暗殺しようとした皇室や国学の信奉者で、最後は 西郷隆盛に従って西南戦争で亡くなっている。 松下によれば、福沢は太平洋 戦争中、「鬼畜米英」の思想家で、福沢旧邸の記念館は荒れ果てていた。 一方、 国粋主義者の増田はもてはやされていた。 それが8月15日の敗戦で、引っ くり返る。 その「シーソーゲーム」で書ける、と思った。  時代と無関係な思想はあり得ない。 福沢は、時代が狂気に満ちれば満ちる ほど、それに排斥されてしまうほどのエネルギーを秘めた、光を放つ「平熱の 思想家」なのだと、気付いたというわけだ。