福沢と馬場辰猪・北里柴三郎2008/12/04 07:15

 佐高信さんは、この間亡くなった筑紫哲也さんが『週刊金曜日』の講演で一 緒に広島へ行った時、「女性はショートヘアと、ロングヘアのどちらが好きです か」という女性の質問にまで、丁寧に答えていた話をして、福沢もまた、ファ ッションを時代の移り変わりに結びつけるような、細かいところまで眼が行届 いていた、端的に言えばプラグマティストだった、と言う。 田中王堂は「小 額紙幣にくずせないような思想はいかがなものか」といったが、福沢の思想は 小銭まで意識して、ほり込んだものだった。

 『夕刊フジ』の連載は、原稿用紙3枚足らず(「等々力短信」とほぼ同じ) の中に、「何か」を入れて、その日その日を面白くしないといけない、厳しいも のだ。 新味を出す必要がある。 書き始めて、途中で予想とは違うものにな るほうが、いいものになるようだ。 日々不安なのだ。 が、つぎつぎに書く べきことが出てくる展開になった。

 馬場辰猪。 福沢は、弟子の馬場辰猪がラディカルになっていっても、見捨 てなかった。 我が身に危険が及ぶ恐れがあったのに、馬場を抱え込むところ に、福沢の偉さがあった。 高熱を抱え込む平熱。 強烈な教育者だった。  北里柴三郎。 北里病院に入院中のゼミの仲間、政治記者でなく政治話者、 ヒゲの岸井成格(毎日新聞元論説委員長、慶應高校で福沢研究会にいた)がヒ ントを与えてくれた。 細菌学をコッホに学んで帰国したのに、東京帝国大学 の先輩の誤りを指摘して、行き場を失っていた北里を、福沢は徹底的に支援し た。 それは官に対する民、朝に対する野のモデルケースで、民の伸長なくし ては、日本に民主主義は根付かないと考えた福沢の、いわば思想の実践だった。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック