「インド洋の宝石」ザンジバル島の過去2008/12/19 07:26

 東アフリカ中部のタンザニア、その沖合いに「インド洋の宝石」と呼ばれる 珊瑚礁の島ザンジバルがある。 この島が世界史の表舞台に出たのは、リバプ ール-マンチェスター間に世界初の鉄道が出来る二年前の1828年、当時、イン ド洋で一大交易を行なっていたアラビア半島のオマーン王国が、王都をこの島 に築いたのだ。 それ以前の大航海時代にはポルトガルが占領し、オマーン王 国のあとはイギリスが支配した。 海に面して建てられた壮麗な宮殿、要塞、 そしてハーレム。 そのヨーロッパとアラブが合わさったような堅牢な建物は、 珊瑚と砂をまぜて築かれ、土壁が主流だったアフリカ社会で異様な景観を誇っ た。 美しい王都はいつしか「ストーン・タウン」と呼ばれるようになり、2000 年に文化的価値が認められて世界遺産に登録された。 街並みを行くと、アラ ベスクがぎっしり彫り込まれた大きな「ザンジバル・ドア」を持つ家もある。

 なぜザンジバル島にオマーン王国の王都が築かれたのか。 当時、この島が 東アフリカ全域とインド洋を結ぶ重要な交易中継地だったためだ。 ザンジバ ルから、アメリカ、フランス、アラビア、インドなどなどへ、海を渡っていっ たのは、アフリカ内部から集められた象牙、そして黒人奴隷だった。 「ザン ジバル」とは、ペルシャ語で「黒人の海岸」を意味する。 「ストーン・タウ ン」は奴隷貿易で巨万の富を蓄えたのだった。

 奴隷貿易が廃止されて100年以上経つザンジバル島は今、アラブとアフリカ、 それにインドが融合したスワヒリ文化(「スワヒリ」はアラビア語で「沿岸の」 の意味)の中心地になっている。 番組でイスラム教のラマダーン(断食月) 明けのお祭をやっていたが、アフリカの楽器を使ったアフリカ調の音楽と踊り で楽しんでいた。