にじみ出る苦闘の跡 ― 2008/12/21 08:38
山口薫の絵は、ひたすらに暗かった。 実物を見てみると、テレビとは印象 が違うものだということを、あらためて実感した。 初期の作品や、パリ留学 中のものも、濃いというか、重い色遣いをしている。 いろいろな色を使って 描いている、たとえば代表作の一つ「花子誕生」という牛の絵にしても、暗い のだった。 2002年11月に同じ世田谷美術館ので「脇田和展」を見た。 脇 田和も具象と抽象のはざまで、アトリエで遊ぶ子供たち、庭に来る鳥、木の葉 などを題材に描いていて、その点では山口薫に近いものがある。 しかし、脇 田和の色は明るく、透明感があった。 同じ美術館で見たから、その対比がは っきりとわかった。
山口薫は1933年にパリ留学から帰ると、長兄が用意していた上北沢のアト リエに入り、そこで亡くなるまで35年間、黙々と制作にあたったという。 1953年以降は、東京藝術大学で教え、後進の育成にも尽力した。 展覧会が「都 市と田園のはざまで」と題されたのは、山口薫が欠かすことなく郷里の群馬に 立ち返り、その風土から画想を得るとともに、そこで自作を発表しつづけ、都 市と田園のはざまでの行き来を繰り返しながら、具象と抽象のはざまで揺れ動 く、その独自の絵画世界を紡ぎ出していったからだという。
これが山口薫の絵だと一目でわかるような画風ではない。 アトリエで思索 を重ねながら、たえず新しいものに挑戦していったのだろう。 何必館・京都 現代美術館には「山口薫作品室」があるようだが、そこから来ていたシュルレ アリズム風のコラージュ作品「花の像」(1937)、群馬県立近代美術館蔵で日本 の伝統色を使った抽象的な実験「紐」(1939)、バックを大きな色面で分割した 「蛸壺など」(1939)は、そうした苦闘から生れたものだろう。 山口薫の絵 の暗さには、具象と抽象のはざまで揺れ動く、その悩みと孤独な格闘のあとが 滲み出しているように思えた。
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