福沢は表慶館での自分の展覧会を、どう思うか2009/02/10 07:15

 それで記念講演会だが、一人目は昨年10月に福澤研究センター所長になっ た米山光儀(みつのり)さんの「同床異夢の教育―福澤諭吉と近代日本の教育」 だった。 米山さんは慶應義塾大学教職課程センター(中学・高校の教員を養 成する)教授で、専門は近代日本の社会教育史、ふだんは社会教育と学校教育 の架橋というようなことを考えているという。 国立博物館で講演することに なって、博物館が主要な社会教育の機関であることから、博物館についてもあ らためて考えてみたいと思っている、と語った。

 「はじめに」として、九鬼隆一と福沢の微妙な関係にふれた。 九鬼隆一は 慶應義塾で一年ほど学んで、文部官僚となってスピード出世し、とくに美術行 政に力と業績のあった人物で、十年間帝国博物館(国立博物館)の総長も務め た。 明治14年の政変で、慶應系が一掃された中で、文部官僚を続け、スパ イ活動をやったともいわれている九鬼を、福沢は生涯許さなかった。 九鬼隆 一に関係した明治の終りの建物である表慶館で、自分の展覧会が開かれること を、福沢はどう思うだろうか、と米山さんはいう(その答を、講演の結論にし た)。

 米山さんは、福沢が『学問のすゝめ』で教育の重要性を説き、国民皆学の近 代学校制度(「学制」)の成立に大きな影響を与えたといわれているけれど、福 沢の構想していたものが、本当に明治政府によってつくられた近代学校制度に よって実現したかどうかを、検討する。 そして、(1)福沢と明治政府の違い を明らかにする。 (2)近代日本教育史における慶應義塾の意味を考える。