『学問のすゝめ』と、明治政府の「学制」2009/02/11 07:16

 本論で米山光儀さんはまず、『学問のすゝめ』初編と、明治5年太政官布告 第214号「学制につき被仰出書(おおせいだされしょ)」を比較する。 『学 問のすゝめ』の明治政府「学制」への影響は認めながらも、相違点を指摘する ほうが自分の性に合っているという。 「被仰出書」の「学問ハ身ヲ立ルノ財 本」など、学ぶことが立身・身の独立につながるというのや、実学を説く部分 は、『学問のすゝめ』との共通点で、影響があるとみて妥当だろう。

 しかし、次の三つは相違点だ。 (1)天賦人権説の有無…『学問のすゝめ』 は、人間は生れながらにして平等であるとしながら、実際には差があるのは、 学ぶか学ばないかの差で、学ぶことの大切さを説いた。 「被仰出書」には、生 れながらにして平等というのは、ない。 (2)過去の教育への評価…福沢は 寺子屋で学ぶようなことに加えて、地理学・歴史学・物理学・経済学など(翻 訳書で足りる)をすすめた。 「被仰出書」には、武士以外は何もやっていな かったかのように書かれ、過去を全否定している。 福沢の方がリアルで、庶 民の学んでいたことを踏まえている。 (3)身の独立と国家の関係…福沢は 「一身独立して一家独立、一家独立一国独立天下独立」(明治2年松山棟庵宛) と、身の独立と国家の独立は関係すると捉える。 「被仰出書」は、国家のた めにする学問を否定し、国家の独立というようなことは何もないかの如くに書 かれている。 それは財政的な問題から、国の負担を回避して、明確に言わな かったのではないか。

 福沢は、明治5年5月「京都学校之記」に、京都の町衆がつくった64の小 学校を視察して、その感動を書いているが、「学制」については無感動であった。