慶應義塾のミュージアム2009/02/14 06:51

 未来をひらく福澤諭吉展記念講演会の二人目は鷲塚泰光(ひろみつ)さんの 「福澤門下生の美術コレクション」だった。 鷲塚さんは、私が学部を卒業し た昭和39年に、慶應の大学院修士課程を終了、昭和40年文部技官となり、ず っと美術工芸畑を歩んで、東京国立博物館次長や奈良国立博物館館長などを務 めた方だ。 今回の展覧会では、実行委員として西岡康宏元東京国立博物館副 館長などとともに、第7部「福澤門下生の美術コレクション」に関わったのだ そうだ。

 鷲塚さんは、専門分野でないのか「茶陶」を除く、第7部の展示物を画像を 示しながら解説した。 その中で9日に書いた、松永安左エ門さんからのコレ クション寄付の申し出を慶應義塾が断わった話が出た。 鷲塚さんは、そのコ レクションを展示する博物館の設計図まで描いたのに、慶應の教授会(?)が 断わった、今、日本の大学で博物館のないのは、関西学院と慶應だけだ、と話 した。 鷲塚さんは、松永安左エ門さんが誕生日に小田原の記念館に多くの人 を招いて美術品を見せ、庭には箱根中のホテルのご馳走が出ていたとも言って いたから、美術品について相談を受ける立場だったのだろう。 今さら悔やん でも仕方がないが、慶應義塾も惜しいことをしたものだ。

 2001(平成13)年1月から2月にかけ「世紀をつらぬく福澤諭吉―没後一 〇〇年記念展」が和光ホールで開かれた時、私は感想文を3月刊の『福澤手帖』 108号に書かせてもらった。 展覧会を訪れているのが年配の人ばかりで、21 世紀を担うべき学生・生徒が少ないのを見て、初稿の最後に三田の旧図書館を 記念館のようにして常設展示はできないかと書いた。 編集担当者から微妙な 問題なのでと依頼があり、やむを得ず、旧図書館と記念館をはずして「三田・ 日吉・藤沢で常設展示し」と書き換えた記憶がある。

 今回の展覧会を機に、福澤ミュージアムのようなものの必要性が、あちこち で言われているようである。 安西祐一郎塾長も、1月10日の年頭の挨拶で、 「時間はかかると思いますが、旧図書館やミュージアムをどうしていけばいい のかといったことも、考えていかなければいけない時期になったように思いま す」と述べた。 期待したいものである。