加藤周一さんを愛読した頃2009/02/17 07:03

 12月5日に加藤周一さんが亡くなり、若い頃に愛読していたことを思い出し た。 朝日新聞夕刊の「山中人カン(門に月)話」、後の「夕陽妄語」だけは、 ずっと読んではいたが…。 本棚に残っていたのは『三題噺』(1965年・筑摩 書房)、忘れられないけれど本棚から消えたのは『海辺の町にて』(1964年・文 藝春秋新社)、『羊の歌』正・続(1968年・岩波新書)、『幻想薔薇都市』(1973 年・新潮社)。  加藤周一さんは、かっこよかった。 血液学を専攻した医者だったから、そ の言説は科学的で明晰な上に、和漢洋にまたがる幅広く、煌びやかな教養にあ ふれていた。 リベラルを貫き、国際的なその上に、どうも女好きらしかった。  1958年医業を廃し評論家として独立、1960年秋カナダのブリティシュ・コロ ンビア大学に招かれて古典の講義をした。 『海辺の町にて』は、その時のバ ンクーバーであり、講義は『日本文学史序説』(1975年)となった。

 『三題噺』の長い「あとがき」に、こんなくだりがある。 「私にははじめ から青雲の志というものがなかった。それよりも、山中または市井にかくれて、 身辺の安穏と無為の時をたのしみたいというひそかな望みが、強かったようで ある。その望みは、年少の頃から夏を過ごした信濃追分村で、いくらかはみた されていた。私は毎年そこで七月の郭公の声を聞き、八月の末にすすきの穂が のび、赤とんぼが青い空を舞うのを眺め、天下国家のことに係らぬ閑文字を読 んで時を過ごした。」

「私がようやく閑居にちかい境遇に身をおいたのは、職を異国の大学に奉ず るに及んでからである。私は太平洋彼岸の加奈陀の港町に、また南独の高原の 古都に、はからずもかねての念願のとおり、書籍に親しむ機会を得た。」