官を辞して三十数年の閑居2009/02/18 07:13

 加藤周一さんの『三題噺』(1965年・筑摩書房)を再読した。 三人の人物 を扱った小説である。 「詩仙堂志」は石川丈山、「狂雲森春雨(くるいぐもも りのはるさめ)」は一休宗純、「仲基後語」は富永仲基。

 石川丈山は、徳川家康に近習として仕え、先代以来の槍術と兵法の学に優れ ていた。 33歳の時、大坂夏の陣で、軍令を破って先駆けし功を立てたが、謹 慎を命じられ、剃髪して妙心寺に入った。 41歳で病母のために貧を免れるた め、再び出仕、広島の浅野但馬守に十三年間仕えた。 母が死ぬと京都に戻り、 58歳で比叡山の西麓の地に居を定めると、その後三十数年鴨川を渡ることなく、 閑居に徹して詩仙堂に暮した。

 作者は詩仙堂に行き、石川丈山らしい老人と会って、話をする。 「詩仙堂 にはすべてがあった」と老人は言う。 「昼は筆を揮って書を成し、倦めば小 径を掃き、林泉に嘯いた。夜は燈下に古書を披き、炉辺にあるときは薬を煎じ、 あるときは芋を燔った。季節が東山の林にあらゆる変化をもたらしたことはい うまでもない。春は鶯、秋は鹿の声、夏は屋根に落ちる雨の音、冬は東山の松 に鳴る木枯……黄葉夕陽は、年毎に同じからず、下生えの緑はまた春毎に新た であった。」

 加藤周一さんは、「詩仙堂志」を日常生活の些事に徹底した男の話だという。  毎日の生活の平和を何よりも貴び、そのなかでの小さな歓びを、人生において いちばん貴重なものと考え、その他のすべてを犠牲にする決心の一貫してゆる がなかった「日常的人生」だ、と。