万事を捨てさせた感覚の愉しみ ― 2009/02/19 07:18
加藤周一さんは、道元を思想家として日本の著作家のなかでは全く抜群であ るとする。 後の禅家のなかで道元に及ぶものは一人もいない、一休宗純も例 外ではないが、ただ「狂雲集」だけは、いかにも徹底している。 道元に通じ るともいえるが、住む世界のまったくちがうのが、そこにあらわれている、と いう。 そして加藤周一さんは、書く。 「私は生来感覚的なよろこびをもと め、殊に男女の交情が感覚の愉しみに転ずる境を貴ぶ。そのために万事を捨て てかえりみないというところまではゆかぬが―」
一休宗純は、室町中期の臨済宗の僧。 号は狂雲。 後小松天皇の落胤とい われ、京都大徳寺の住持であったが、応仁の乱を避けて洛中を去り、薪(たき ぎ)村の酬恩庵に隠棲した。 「狂雲森春雨(くるいぐももりのはるさめ)」は、 酬恩庵での一休宗純を、その晩年の恋人森女をとおしてみた物語である。 森 女は、盲目だった。
春雨の降る夕方、まだ一休の帰らぬ酬恩庵で、森女が湯ぶねの中にいるとこ ろから、物語は始まる。 「両の手をわき腹から腰へすべらせてみれば、ひと ときはあれほど痩せ衰えて腰骨のかたくふれたところも、今はふっくらとやわ らかく、なめらかに張りきった肌の手ざわりのこれがわが身かと思われるばか りで、来る夜も来る夜も人の感じてきたのは、このぷりぷりした肉附きであっ たのかと今さら思いあたるような気がする。」
生きていることのいちばん確かな証は、官能的経験の瞬間にあり、その他の すべては確かではない。 夢といえば夢のようでもあり、現といえば現ともい える程度のものにすぎない、というのが「狂雲森春雨」の「官能的人生」に徹 底した一休宗純の立場である、と加藤周一さんは言う。
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