富永仲基の「知的人生」 ― 2009/02/20 06:47
富永仲基(とみながなかもと)といっても、おなじみがないだろうから、『広 辞苑』を引く。 「江戸中期の思想家。号は謙斎。家は大坂の醤油醸造業・漬 物商。父の創立した懐徳堂に入り三宅石庵に陽明学を学び、仏典および神道に 通じ、神・儒・仏を歴史的に批判。のち家塾を開き、「出定後語」「翁の文」な どを著す。(1815~1746)」
富商たちが出資してつくり、商家の小僧なども学ぶことの出来た郷学校、懐 徳堂のことは司馬遼太郎さんの本などで知っていた。 その中心人物が、富永 仲基の父、「道明寺屋」芳春富永吉左衛門で、土地を提供し、建築や維持費のあ らかたを負担していた。 長男、毅斎富永吉左衛門が家業と名を継いだ。 芳 春の後妻、安村氏安幾に、長男とは腹違いになる仲基、弟の東華仲重、妹が生 まれた。
加藤周一さんの「仲基後語」は、ニューヨークで開業している最近の進歩し た霊媒術を操る霊媒の力を借り、東華富永仲重、毅斎富永吉左衛門、富永仲基 妹、富永仲基(本人)、大阪奉行所役人、安藤昌益、三浦梅園、ある女(仲基に 惚れた)、もう一度富永仲基(本人)にインタビューを試みて、富永仲基の人と 思想に迫ろうとする。 仲基は儒教を批判した『説蔽』という書物によって、 石庵に破門され、母や弟妹とともに家を出た。 幕府、奉行所の圧力によって、 版元が『説蔽』の版木を焼いたため、『説蔽』は現存していない。
一休にしても、丈山にしても、他のすべてを捨てて少しも悔いず、最後まで その流儀を押し通したではないかと訊かれて、富永仲基は語る。 「しかし私 ならばその女の肌にも、庭いじりをして茶を飲むその生活にも、すぐ慣れたろ う」「倦きたろう」「倦きない生活があり得るとすれば、それは考える生活だけ なのだ。」 加藤周一さんは「仲基後語」を、「知的人生」に徹底した主人公の 話だという。 「知的人生」も、もしそこに徹底すれば、おそらく日常生活の 平和とよろこび、またあり得べき官能的な経験の犠牲を伴わずにはいないはず である、と。
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