『夏潮』新年会 ― 2009/02/25 06:50
22日の日曜日、「『夏潮』新年会」が、山王日枝神社境内のつきじ植むら山王 茶寮で行なわれた。 本寸法の旧暦である。 2時締切の句会と、5時からの 宴会。 幸いに晴天となった。 東京に生れ育って六十有余年、なんと山王日枝神社に行くのは初めてだった。 千代田線の赤坂で降りて、赤坂SAKASのしだれ桜の状況を見、勝海舟の屋敷 跡と思い込んでいた氷川公園へ行った。 公園では道路工事や建設工事の人た ちが昼休みをしていた。 海舟の屋敷跡は、300メートルほど先の旧氷川小学 校跡と知れた。 山王日枝神社に昇るのに、エスカレーターが使えるのには、 びっくりした。
句会は本井英主宰、ゲストの高橋睦郎さん、筑紫磐井(ばんせい)さん始め 72名の参加、五句出句、三句選、360句中の三句にならなければという、超難 関である。 私が選句したのは、次の三句。
春の風ふはりと入れて角隠し 美保
するすると昇殿春の山王社 明朗
東京の臍のしづけさ梅日和 貴之
美保さんの句は、最高点句かと思われる超人気となった。 いつも渋谷の句 会でご一緒していて、この日はちょうど前の席に座っていらした。
私が出したのは、次の五句。
目覚めれば早や二ン月の二十日かな
春浅きとらや赤飯色の濃き
花にまだ間のある赤坂SAKASかな
海舟の屋敷の跡の春の水
夜は狐狸出る赤坂の春の昼
それでも「夜は狐狸」に一票入って、救われた。
宴会は、アラビア人に扮した杣人(そまじん)さんの「月の砂漠」や、主宰 の「なごり雪」の歌(芸のある人はうらやましい)、宝くじの番号を使った福引 (私も三等で「陰暦カレンダー」をゲット)などを楽しみ、都一中家元の指導 で一同「万歳」の掛け合いをして大団円となった。
東西融合の医療<等々力短信 第996号 2009.2.25.> ― 2009/02/25 06:55
「馬場さんが先に読むように」と、脳神経外科医で藤原QOL研究所代表の 藤原一枝先生が、本を貸して下さった。 大倉多美子・出野智史共著『漢方の スヽメ 慶應義塾の東洋医学を支えた人々』(2008.10.戎光祥(えびすこうしょ う)出版刊)。 大倉さんは慶應義塾の東洋医学を長い間支えてきた薬学博士で、 昨年定年となり、出野さんは教え子の医学部6年生だ。 序論の「漢方のスヽ メ」で大倉さんは、現代人が体を動かさなくなって、生き物として使われなけ ればならない諸器官は働く機会を奪われ、本来、人間が持つ自然治癒力(免疫 力)すら低下してきているという。 バランスを崩した現代社会では、疾病も 多様化し、人類が歴史上、経験しなかった状況に直面している。
そこで西洋医学の対症療法だけではない、東洋医学の意義が説かれる。 東 洋医学は、人体を高度なフィードバックシステムとして捉えていることから、 生体のバランスを取り戻す治療法なのだ。 悪くなった病巣のみを直すのでは なく、生体全体のバランスを見て、多種類の生薬(しょうやく)で構成された 方剤を用いて、全体から生体のひずみを治し、バランスを整えることによって、 当然病巣も治ってくるという考え方である。 大倉さんは、西洋医学の考え方 に加え、東洋医学の針灸のツボ、経絡などを総合的にソフト化し、皮膚の表皮 と真皮層の電気的状態を測定して、生体の状態が異常に達する前の、未病の内 にキャッチする「皮膚インピーダンス法」を開発したという。
福沢諭吉が終生北里柴三郎を助けた、二人の関係はよく知られている。 そ こから北里研究所と慶應義塾大学医学部は生れた。 北里研究所は現在、東洋 医学総合研究所を有し、日本漢方の研究と臨床をリードしている。 慶應の漢 方療法を推進した人として、まず武見太郎が登場する。 武見は日本医師会会 長を25年間務めて有名だが、患者の全体像を視る漢方医学を認めて、北里の 東洋医学総合研究所設立の世話人代表となり、健康保険への漢方エキス剤の収 載に尽力した。 西洋医学一辺倒で漢方の「かの字」も口に出せない雰囲気の 中から、相見三郎、龍野一雄、大鳥蘭三郎、長谷川弥人、細谷英吉、桑木崇秀 といった先生方が、慶應の漢方療法を推進した努力と足跡が語られる。
慶應義塾大学病院で、漢方診療相談所から始めて、臨床の漢方クリニックを 確立した一人、産婦人科の村田高明先生は、現代医学的には行き詰っても、漢 方的な立場からみると、何らかのきっかけが得られるケースが少なくない、と 語っている。
最近のコメント