鈴本でベーゼンドルファー ― 2009/02/28 07:08
専門の職人というのは、ものすごい。 鈴本の階段を、グランドピアノを担 いで上げるのだ。 高座に置かれたのを見て「ピアノって、こんなでっけぇー んだ」「鈴本でベーゼンドルファーだからな」と、小三治。
黒のズボン、白いシャツにマフラーの、小三治が、かなり緊張した面持ちで、 ピアニストの岡田知子の伴奏に乗って、歌い出す。 ♪人恋うは かなしきものに 平城山(ならやま)に もとおりきつつ たえがたかりき♪ 「歌ま・く・ら」と銘打ったらしい、この会は、ぜひ聴きたかった。 扇橋 が心配して楽屋に来ていた会だ。 ネットというのは便利で、歌詞を探したら、 「平城山(ならやま)」は北見志保子作詞、平井康三郎作曲、下のところでメロ ディも聞けるから、小三治を気取ってくちづさむこともできる。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/narayama.html
小三治は、歌の好きな少年だった、という。 歌い手になろうというほどで はなかったが…。 それが駆け込み寺に入るように、この世界に入ってしまっ た。 その前は、何といっても、歌が好きだった。 ハチミツでも、オートバ イでもなく…。 小三治は、自分の完璧主義を、校長先生だったという厳格な父親の、95点取 っても100点を取って来なきゃあダメじゃないかと叱られた、その「刷り込み」 でしょうかね、という。 それがイヤで、この世界に入ったのに、と。
噺家は「“ことば”より先に、人の心ありき」ということを、何年かかかって 見つけるのだと、小三治は言う。 そこから、芸が始まる。 “ことば”は、 心を奏でる(伝える)手段に過ぎない。 それは、音楽家にとっての音符も、 作家にとっての文字も、同じだろう、と。
小人閑居日記 2009年2月 INDEX ― 2009/02/28 10:02
4157 喬太郎の「初音の鼓」<小人閑居日記 2009. 2.1.>
4158 桂米團治の「親子茶屋」<小人閑居日記 2009. 2.2.>
4159 手に汗握るスーパーボウル<小人閑居日記 2009. 2.3.>
4160 院長八十歳を機に、閉院<小人閑居日記 2009. 2.4.>
4161 「大事は小事の累積」<小人閑居日記 2009. 2.5.>
4162 34年前の「短信」創刊号<小人閑居日記 2009. 2.6.>
4163 ワイシャツのソデの長さ<小人閑居日記 2009. 2.7.>
4164 「とらや」の赤飯<小人閑居日記 2009. 2.8.>
4165 再び「福澤諭吉展」へ<小人閑居日記 2009. 2.9.>
4166 福沢は表慶館での自分の展覧会を、どう思うか<小人閑居日記 2009. 2.10.>
4167 『学問のすゝめ』と、明治政府の「学制」<小人閑居日記 2009. 2.11.>
4168 教育政策についての福沢の批判<小人閑居日記 2009. 2.12.>
4169 慶應義塾の教育<小人閑居日記 2009. 2.13.>
4170 慶應義塾のミュージアム<小人閑居日記 2009. 2.14.>
4171 猫額庭の草むしり<小人閑居日記 2009. 2.15.>
4172 喫茶店の名前<小人閑居日記 2009. 2.16.>
4174 加藤周一さんを愛読した頃<小人閑居日記 2009. 2.17.>
4176 官を辞して三十数年の閑居<小人閑居日記 2009. 2.18.>
4177 万事を捨てさせた感覚の愉しみ<小人閑居日記 2009. 2.19.>
4178 富永仲基の「知的人生」<小人閑居日記 2009. 2.20.>
4179 富永仲基が考えたこと<小人閑居日記 2009. 2.21.>
4180 「福澤諭吉展」会場の一事件<小人閑居日記 2009. 2.22.>
4181 またぞろ福沢諭吉「心訓七則」の亡霊<小人閑居日記 2009. 2.23.>
4182 直接、北尾吉孝さんに知らせる<小人閑居日記 2009. 2.24.>
4183 『夏潮』新年会<小人閑居日記 2009. 2.25.>
短信 4184 東西融合の医療<等々力短信 第996号 2009.2.25.>
4185 小三治の「病気」<小人閑居日記 2009. 2.26.>
4186 小三治と扇橋<小人閑居日記 2009. 2.27.>
4187 鈴本でベーゼンドルファー<小人閑居日記 2009. 2.28.>
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