名前は馬場だが、どうも牛だったらしい2009/07/07 08:11

「『等々力短信』1,000号を祝う会」の会場

 つぎに「継続は力なり」にひっかけて、こんな話をした。 前にこの日記で、 こぶ平から林家正蔵という大名跡を継いだ正蔵が、ずっと古典落語で押してい るのを褒めた時に使ったネタだ。 旧知の正蔵のご親戚にメールしたら、ご本 人が今年のノートの初めに、書き込んでくれたということだった。

大正5年の8月24日に、夏目漱石が、まだ若い新進気鋭の芥川龍之介と久 米正雄に書いた手紙である。 「牛になる事はどうしても必要です。吾々はと かく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです。」「あせつては不可せん。 頭を悪くしては不可せん。根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を 下げる事を知つてゐますが、火花の前には一瞬の記憶しか與へて呉れません。 うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。」  その部分を読んで、「私は馬場ですが、どうも牛だったらしい」と、話した。

 ここ1,2か月、この日配った「1000号の歩み」をパソコンに打ち込んでいて、 1号からずっと目を通すことになった。 それで気がついたのは、最近流行の 言葉で「ブレない」というけれど、ずっと一貫している。 言い換えると、少 しも進歩がない。 馬場の一つ覚え、バカの一つ覚え。 30代でもう「定年 を迎えた時に、これから本格的にやるぞと、わくわくするような趣味を持って いたい」などと書いていた。 ビジネス・モデルという言葉があるけれど、一 つの趣味のモデル、ホビー・モデルというようなものを示すことが出来たので はないかと思う、と千号を笠に着て、えらそうなことを言ったのだった。