戦争で失われた十年 ― 2009/07/10 07:11
(再開・『渋沢敬三という人』7月5日のつづき) 追放令に該当し、すべての公職を離れた渋沢は、その大きな屋敷を財産税で 物納し、崖下の執事の住んでいた家にさっさと越してしまう。 金銭にはまっ たくあっさりしていて、「ニコボツ」(にこにこしながら没落する)といって、 平気な顔をしていたという。
しかし、このために学問活動の規模は、戦前とは、比較にならぬほど縮小せ ざるを得なかった。 長男雅英はこう書いている。 「私はもし昭和12,3年ごろのような父を中心とした共同研究が、たとえ十年 でもつづいていたら、日本のために、父のために、また多くの研究者の方がた のためにどんなによかったかと、心から残念に思っている。 戦争があのよう な無茶なプロセスをとらなかったら、また日本人の心の状態があそこまで追い 込まれることがなかったら、父の人生も、その学問も、もっと大きく豊かな花 を咲かせただろうと思う」
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