日銀総裁が一升ビンを提げて ― 2009/07/12 05:47
(『渋沢敬三という人』のつづき) 小泉信三の『座談おぼえ書き』のなかに、日銀総裁当時の渋沢の話がある。 岩波茂雄の貴族院議員当選の祝宴かなにか一緒に出る宴会があって、日本銀行 まで迎えに行った。 日銀の取次は丁重をもって聞こえている。 その丁重な 受付に刺を通じて待っていると、渋沢は、秘書もつれず、一升ビンを片手に提 げて現れた。 当時はもう飲料も食物も不自由になっていたので、何か宴会を するといえば、人々はそれぞれ力に応じて食べ物や飲み物を持ち寄るのが常に なってはいたが、しかし、あの荘重な石造の日本銀行の建物から、総裁が酒の ビンを片手にふりながら登場する風景は珍しいと思いつつ眺めたのを憶えてい る、と小泉は書いている。
大蔵大臣当時、政務上奏のために天皇陛下に拝謁したが、たまたまヒドラや 海牛の話となり、財政の政務はそっちのけで二時間近くも話し込んでしまい、 後で陛下が、「渋沢はいったい何の大臣であったか」とお聞きになったという。
昭和38年10月25日、渋沢敬三は糖尿病に萎縮腎を併発して亡くなった。 67歳であった。 92歳まで生きた祖父栄一とくらべて、いかにも若いのが惜 しまれる。 渋沢の家では同族会が毎月一回開かれていた。 そして、正月に は栄一の残した家憲を読む習慣であった。 敬三は、この家憲をものすごい早 口で息もつかずに読んだという。 その敬三の遺言「希望書」の書き出しは「生 きた人が生きた人を思い通りに動かすことすらむづかしいのに、まして死んだ 人が生きた人を自分の意志通りにする遺言書なんて大それたことをここで考え ているのではない」とある。
(おわり)
参考にした本
遠藤武ほか著 渋沢敬三先生追悼記念『日本の民具』昭和39年11月・慶友社
渋沢敬三編著『絵巻物による日本常民生活絵引』昭和40年1月・角川書店
小泉信三著『座談おぼえ書き』(自慢話のつづき)昭和41年7月・文藝春秋
渋沢雅英著『父・渋沢敬三』昭和41年10月・実業之日本社
宮本常一執筆『世界伝記大事典3』渋沢敬三の項 昭和53年7月・ほるぷ出版
梅棹忠夫編著 中公新書『民博誕生』昭和53年10月・中央公論社
宮本常一著『民俗学の旅』昭和53年12月・文藝春秋
宮本常一著 中公新書『絵巻物に見る日本庶民生活誌』昭和56年3月・中央公論社
武見太郎著『戦前・戦中・戦後』昭和57年3月・講談社
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