雲助「髪結新三(下)」の結末2009/07/30 08:02

 トリは五街道雲助の「髪結新三(下)」、あらましは「等々力短信」1001号に 書いた。 (上)の物語は、7月18日にある。 葺屋町(今の日本橋堀留1丁 目)の大親分・弥太五郎源七が、新三の家へ履いていく下駄が「ドウジマの下 駄」。 これを友人に訊かれて分からなかったが、『広辞苑』にも載っていた。  なんと「堂島」、福沢の誕生地なのであった。 米仲買が用いたから、こう呼ぶ そうで、桐台のくり歯で、表を鉄鋲でうちつけたものだという。 ついでに髪 結新三が“照り降り町”で買った「吉原下駄」だが、ちょいと雨が降った時な ぞに間に合わせに履く、安い杉の下駄(桐の下駄や何かだと高価いから)で、 昔は芝居茶屋などでこれへ焼印を押して茶屋から芝居に行くときに履かしたも のだそうだ。 同じく「大黒傘」(これも『広辞苑』にある)、大坂の大黒屋が 売り出した番傘、紙厚く骨竹が粗く繋糸の強いもの。 当時、安物というと「大 黒傘」、雨が降ってきて買うというのだから、今のコンビニのビニール傘みたい なものだろう。

 交渉に失敗してケチがついた弥太五郎源七、新三の大家の長兵衛にも、うま いことやられて、恥の上塗りとなる。 新三は、賭場などを歩いては「俺が弥太 五郎源七をへこました」と吹聴し、それが源七の耳にも入る。 ついにこらえ きれなくなって、賭場帰りの新三を深川の閻魔堂橋というところで、待ち構え ている。 五街道雲助、ここから芝居がかりになる。  「その身の罪も深川で、橋の名せえも閻魔堂。鬼と云われた源七がここで命 を捨てるのも、餓鬼より弱ェ商売の、地獄のかすりを取った報い、てめえも俺 も遊び人、一つ釜とはいいながら劫の秤にかけたなら、貫目は違うが入墨新三、 こんな喧嘩(でいり)もそのうちに、てっきりあろうと浄玻璃の、鏡にかけて 懐中に、隠しておいたこの匕首(あいくち)、刃物がありゃァ鬼に金棒、どれ血 まぶれ仕事にかかろうか……」  「無情を告げる八幡の、死出の山駕籠三途の川端、あたりは見る目嗅ぐ鼻の、 人のねえのがもっけの幸い、この世に暇(いとま)をとらしてやろう」

 以上「髪結新三(上)(下)」について薀蓄を傾けられたのは、本棚から偶然 手に取った三遊亭圓生著『江戸散歩 上』(朝日文庫)「日本橋」のおかげだった。