「八紘一宇」の「紘」2009/10/17 07:19

 3日、井の頭吟行の山本有三記念館で、戦後、山本有三が漢字を減らして平 易に書くことを推進し、新憲法にも影響を与えたことを、テレビで見たのを思 い出した、と9日の日記に書いた。 そのテレビは、NHK「知る楽」“歴史は 眠らない”の9月、漢和辞典編集者、円満字二郎さんの「戦後日本 漢字事件 簿」の第1回「禁じられた「八紘一宇」」だった。 円満字さん、なんともお 仕事にふさわしい苗字である。 「八紘一宇」の「紘」は、昭和16(1941) 年生れの私の名前の字だから、聞き逃せない話だった。

 円満字さんは、国の漢字政策の変遷から、国民の価値観の変遷までもが見え てくるという。 江戸時代には、上下の身分制度を維持するものとして、漢学、 漢字があった(五万字)。 明治に入ると、福澤諭吉が漢字は二千から三千で沢 山という漢字制限論を唱えた。 近代化のために、明治政府も明治33年、小 学校で学習すべき漢字を1200字とした。

 しかし、昭和に入ると漢字制限論が重んじられなくなる。 戦時中は難解な 漢字が多用された。 天皇中心の国家体制、総動員体制に国民の精神を取り込 む方法として、漢字に注目したのだ。 「軍隊手帳」にも難しい漢字を羅列し た。 「擧國一致」「盡忠報國」「堅忍不抜」そして「八紘一宇」。 漢字には、 人々に何かを伝える力がある、時には、恐ろしい魔力で、人々を威圧する。 「八 紘一宇」の「紘」は果て、「宇」は家、世界の果てまで全てを一つの家にする、 という意味で、大東亜共栄圏構想の標語として使われた。