いつくしむことから生れる学問2009/10/21 07:12

 丸山徹さんは、高橋誠一郎先生が講義に来る時と同じように、数冊の本を風 呂敷包みにして来た。 丸山さんが聴講した当時、高橋先生の「経済学前史」 の講義は、水曜1時からが学部、木曜1時からが大学院の学生が対象だった。  大学院の講義は三年一周期で、1.古代、2.中世、3.近世・重商主義、アダム・ スミスが出るまでを扱い、学部は一年でそのダイジェスト版をやった。 重点 は近世・重商主義で、それはグーテンベルクの印刷術以来、本の形で研究が出 来るからだった。 高橋先生は、その本への愛着が深かった。 出版当時の本 が欲しい、それを手元に置きたい。 装丁、紙の風合、活字、見返しから扉、 花布にいたるまで、掌で愛(いつく(慈かもしれない))しむように読み、楽し む。

 それが高橋先生の学問の大切なところだった。 対象にチャレンジし、格闘 し、新しいことを言ってやろうなどというのとは違う。 掌で愛しむように、 過去のことなどが知りたくなる、ゆかしい、一種溺れるような学問。 経済学 も、浮世絵と同じ。

 高橋先生の学問を、丸山さんは「述ベテ作ラズ」(論語)の学問だ、という。  読んで、読んで、読み込んで、読み抜いて、堅いものをつかもうとする。 言 葉を惜しんで、まとめたものを、最後の数行に凝縮する。 森鴎外の『渋江抽 斎』、幸田露伴の『運命』、は「述ベテ作ラズ」で書かれた(2006.5.22.の日記 参照)。 アダム・スミスの『国富論』は、「述ベテ作」った学問だった。 重 商主義をぶっこわして、自由主義を説いた。 ケインズも、自分の先生たちを 潰した。 結論として、丸山徹さんは、高橋誠一郎先生の学問は、愛しむこと から生れてくる学問だった、と語った。