訂正「小泉信三さんとファールボール」2009/10/23 07:08

 『「等々力短信」1000号の歩み』をつくるために、古い「等々力短信」を読 み直していて、<小人閑居日記>の間違いに気付いたのを、書き忘れていた。  2006. 5.22.の<小人閑居日記>「小泉信三さんとファールボール」に、体育 会野球部長をやったことがあるという丸山徹さんが「小泉信三と作家たち」と いう講演で、こんなことを話したと書いていた。 小泉さんがネット裏の貴賓 席で同じ慶明戦を観戦中、ファールボールが跳ね返って、小泉さんをかすめ、 そばの人が大丈夫ですか、と尋ねているのを、高校生の丸山徹さんは、見た。  それが昭和41(1966)年5月1日で、小泉信三さんはその10日後の11日に亡く なった、と。 その後で私は、次のように書いていた。

 「実は、私もその試合をネット裏で観ていて、ファールボールは、直接小泉 さんに当たったように記憶していた。 帽子を取って、おでこをさわっておら れたような憶えがある。 ただ年月日までは憶えておらず、当然小泉さんの亡 くなったことと関連づけて記憶はしていなかった。 念のために調べたら、小 泉さんの死因は心筋梗塞だった。 私はもう学校を卒業していて、銀行員だっ たから、5月1日は休みだったのだろうと、こういう時に便利な鈴木充弘さん のサイト「こよみのページ」(http://koyomi8.com/)の「年間カレンダー」を見 ると、やはり日曜日だった。」

 だが1989(平成元)年9月25日「等々力短信」第509号「時の流れるまま に」には、同じ時のことだと思われることを、こう書いていたのだ。  「六大学野球のことを書いていて、こんにちのこの退潮に、関係しているか もしれないという、一つの事件を思い出した。まだ小泉信三さんが観に来てお られた頃のことだ。貴賓席の小泉さんと椅子一つ空けた隣に、禿げ頭の方が観 戦しておられた。ある選手の打ったファールボールがバックネットを越え、貴 賓席のその方の禿げ頭を、ものの見事に直撃した。「ポッカン」という乾いた音 がした。大事にはならなかった。その方は、照れたように笑い、頭に手をやっ た。禿げ頭は、遠目にも赤くなっているのがわかった。私が、その時、何をし たか。笑ったのよ。なんとも、おかしくて、心の底から笑ったのだ。あれが、 たたったのかもしれないと、今は深く反省している。」

 自分が書いたことでも、時間が経つと、忘れてしまう。 ファールボールが 小泉信三さんに当ったというのは、私の思い違いなのだろう。 事件から時間 の近い「禿げ頭」一件の方が正しいのだと思われる。