インドの少女マイトレイとの恋 ― 2009/11/01 07:19
1930年代の、インド、カルカッタ(コルカタ)。 23歳のルーマニア人アラ ンは、運河会社の技術設計技師、工事現場のアッサムでマラリアを病んだこと から、上司のナレンドラ・セン技師に言われ、親族や女衆や運転手のいるその ボワニポール街の大きな屋敷に下宿することになる。 センはカルカッタでは 知らぬ人のいない、上流社会で尊敬されている、エジンバラの首席受賞技師だ った。 16歳のマイトレイと小さなチャブーという娘がいる。
初対面で、マイトレイが両手を額の前へ上げて礼をしたとき、腕がすっかり むきだしになり、アランは、その肌の色に目を奪われた。 つや消しの褐色、 言うなれば粘土と蝋でできたような、それまで見たことのない褐色。 真黒な 巻き毛、大きな目、ひどく赤い唇、絹のような柔らかい身ごなし。 マイトレ イにフランス語を教え、ベンガル語を教わる。 マイトレイは、詩人で、深い 教養があり、「美の本質について」やその他の講演をしたり、ロビ・タクール(詩 聖タゴール)と交流があって、恋心にも似た気持を抱いていたりした。
政治の話題の出た夕食の席、「だしぬけにテーブルの下で彼女の熱い裸の足が 震えながら私の足に重ねられた。戦慄が私の意志を裏切った。マイトレイは気 づかれないようにサリーの裾を引き上げ、私はそのふくらはぎに沿って足をす べらせた。その魅惑と熱と肉感にいささかも逆らってみようともしなかった。」 「このときからテーブルの下のふくらはぎの交錯が私たちの毎日の喜びの一つ となった。」
(マイトレイの心がわかった二人の口づけのあとで)「「アラン、アラン」と、 バルコニーで呼ぶのが聞えた。/初めて私を名前で呼んでいる。庭に降りると、 手すりにもたれている姿がショールを肩に羽織っただけ、髪が黒々と腕を越え て藤の房の間を滑っていた。街灯の青白く照らすバルコニーで花の房の間にほ とんど裸形のマイトレイ、それはオリエントのおとぎ話の中で語り伝えられる 幻だった。」「彼女はショールの下、胸元を探り、なにか白いものを投げてよこ した。それはゆらゆらと空中を漂ってきた。ジャスミンの花で編んだ小さな冠 だった。」(住谷春也訳)
ミルチャ・エリアーデと実在のマイトレイ ― 2009/11/02 07:23
『マイトレイ』の作者ミルチャ・エリアーデを、私は知らなかった。 住谷 春也さんの解説によると、20世紀を代表する国際的文人の一人、ヨーガやシャ ーマニズムに初めて学問的な光を当て、西欧キリスト教的文明のローカル性を 鮮明に示した知の巨人なのだそうだ。 1907(明治40)年、ルーマニアの首 都ブカレストの生れ、21歳の時、学位論文のためのヨーガ研究にインドに旅立 つ。 心と身体を重んずるインドの精神世界に深く傾倒した若い学究は、その シンボルのような女性に恋をする。
池澤夏樹さんは『マイトレイ』を取り上げた『知る楽』を「恋のサスペンス」 と題した。 恋愛小説の基本は「邪魔」が入ること、それによって一種冒険小 説のようになる。 身分や社会による「邪魔」、たとえば川端康成の『伊豆の踊 子』。 エリアーデとマイトレイ(実名)は、異なる文化を越えて、精神と精神、 心と心が結びつく体験をする。 小説に書かれているように、ヒンドゥー教に 改宗してもよいとまで考える。 エリアーデはキリスト教から自由になり、非 西欧的世界に向き合った、この体験によって、すべての宗教を客観的に見られ るようになった、そのエリアーデを決めたのが、マイトレイとの恋愛だった、 と池澤さんは語った。
反国王の民族主義レジオナール運動にかかわったことから、終生亡命の悲運 にみまわれたエリアーデは、パリの高等学院、のちにシカゴ大学で宗教学を講 じた。 マイトレイは1914(大正3)年9月1日生れ(幸田文の10年後)、父 ダスグプタは当時のコルカタ最高の有名知識人、エリアーデはその講義を聴い た。 恋に気づいてエリアーデを追放すると、娘をだまして、エリアーデは逃 げた不実な男なのだと説明した。 ついに諦めたマイトレイは、やがて幸せな 結婚をし、子供二人を育て、その詩や評論はベンガル社会で広く読まれた。 後 年、小説『マイトレイ』のことを知り、1973年シカゴに飛んで、エリアーデを 訪ねる。 恋から43年、エリアーデの態度は冷静、他人行儀だったらしい。 マイトレイは自分の立場から恋の顛末を本(ベンガル語、1976年英訳)に書い た。 その題名は、『愛は死なず』だった。
小駒の「町内の若い衆」 ― 2009/11/03 07:20
10月30日は、第496回落語研究会。 あと4回で、500回になる勘定だ。 いつもの居酒屋で軽くやったあと、十三夜、後の月を、お仲間と仰ぎながら国 立小劇場へ。 仲入に仲間の一人が売店のおばさんから円楽が死んだニュース を聞いてきたが、円生が死んだ時のような喪失感や衝撃は受けなかった。
「町内の若い衆」 金原亭 小駒
「百川」 柳亭 左龍
「堪忍袋」 柳亭 市馬
仲入
「秋刀魚火事」 入船亭 扇辰
「質屋庫」 瀧川 鯉昇
小駒、鳥の子色の羽織に鶯色の着物、刈上げた髪に、たれ目、噺家らしい形 で、陽気に出てくるのはいいが、つくり笑いのニヤッはいただけない。 アメ リカン・ジョークというのをやる。 隣の奥様の噂話だ。 交通事故で顔がメ チャクチャになってお気の毒だけれど、最近は整形の技術が発達していて、全 く元に戻った。 それはお気の毒、と。
「町内の若い衆」、大将と呼ぶ兄貴分のところへ行くと、本人は留守で大工仕 事の音がする。 最近、お茶を始めて、茶室を建て増しているというので、褒 めると、おかみさんは「うちの人の働きじゃあない、町内の若い衆がよってた かって、こしらえてくれたようなもの」だと、若い衆を持ち上げてくれた。 感 心して家に帰り、流氷に乗ったトドのような女房に、そんなセリフは言えまい というと、「言えるよ、建前をしてみろ」。 それでも女かといえば「私が女だ ってこと、身に覚えがあるだろう」。 湯に行く途中で会った仲間に、女房に教 えておいたセリフを聞いてもらいたくて、自分の家へ行って何か褒めてくれと 頼む。 トドのような女房が、ただの身体じゃあない、来月飛び出すんだとい うから、(少子化の解消に貢献とは言わなかったが)褒めると、「うちの人の働 きじゃあない、町内の若い衆がよってたかって、こしらえてくれたようなもの」
左龍の「百川」 ― 2009/11/04 07:19
左龍、両方のホッペタがふくらんで、失礼ながらブルドックのような顔をし ている。 「百川」は日本橋浮世小路の料理屋、ペリー一行に一千両の料理を ととのえたと話したのはよかったが、「四神旗」を官軍の幟旗(錦の御旗)のよ うなもので、神輿の先(四隅かも?)に持って歩く、それに剣がついて「四神 剣」(これは『広辞苑』の「四神旗」の図を見ると納得する)、さらに青龍・白 虎・朱雀・玄武を説明したのは、余計だったのではないか。 とりわけ落語研 究会では。 この話、官軍より前のような気もするし…。
左龍の柄、「ウッヒャッ」という田舎者の百兵衛には合っているのだが、威勢 のいい魚河岸の若い衆の、ぽんぽん言うところにはまことに不向きだった。 つ い團菊爺となって、円生や志ん朝の「百川」と比べてしまうのは、左龍にちと 気の毒かもしれぬが…。 ものの本を見たら、「百川」の固有名詞が出ていたの で、心覚えに書いておく。 長谷川町(今の中央区日本橋堀留2丁目のうち、 元吉原の北隣の町で、古くは禰宜町といったが、吉原が千束に移ってから長谷 川町になった)の三光新道(神道と書くのは発音からの誤りだそうだ)、常磐津 の師匠・亀文字、医者・鴨地道哲。
市馬の「堪忍袋」 ― 2009/11/05 07:20
師匠の先代小さんは、気が短くて、すぐに怒ったと、市馬。 手が飛んでく る、あとで、悪かったな、と謝ったりした。 夫婦喧嘩がすごかった。 おか みさんが二つ上、晩く帰ると「こら盛夫」「うるせえな、くそったれかかあ」「く そをたれないかかあがあるか」。 二階に上がって、くんずほぐれつの大喧嘩、 「ガッチャーン」と灰皿かなんかを投げた音、最後に「キヤーッ」と、男の声。 あくる朝、お膳をはさんで、二人でご飯を食べていた。 ふつうの顔をして…。 灰皿は、投げてもいいような灰皿、なんとか宝石とか名前の入ったやつだった。
長屋の隣の大工・寅の家、度を過ぎた夫婦喧嘩、朝から六たびもというので、 一緒に木場へ木を見に行くはずの鈴木の旦那が止めに入ると、「いえ八回です よ」。 モロコシの、人に怒った顔を見せない人物、実は、甕(かめ)の中に、 言いたいことを吹き込んで蓋をしていた。 よっぽどの人物というので、上か らは引っぱられ、下からは押し上げられて、出世した。 堪忍袋を縫って、そ の中に吹き込んで緒を締めろと、鈴木の旦那が教える。
女房のお光が袋を縫う(市馬の手つきが見所)間、そも馴れ初めからの言い 合いになる。 お店に奉公している時、寅が仕事に来て、弁当の時に、がんも どきを一つ出してやったら、美味しいと涙をこぼした、柱の陰から怪談噺のよ うな手つきで呼ぶ、物置の裏へ連れて行き、壁に押さえつけて…、「すけべ、こ の物置野郎」。
夫婦喧嘩を、袋に吹き込むと、心の霧が晴れたよう、五月の鯉、近来稀に見 るいい気持になる。 隣で聞いていた連中、夫婦喧嘩かと止めに入ると、夫婦 はニコニコしている。 訳を聞いて、長屋中が堪忍袋を借りに来る。 パンパ ンになったので、捨てようとすると、今日は生ゴミの日、明日にしよう。 寝 ようとすると、酔っ払い、熊公だ、明かりを消すと、消したな、戸の隙間から 小便たれ込むぞ、という。 やむなく開けると、親方のところで芳公に兄貴の 仕事は時代遅れといわれ、張り倒して喧嘩になった。 みんなに熊が先に手を 出したと、押さえつけられてポカポカやられた。 袋を貸してくれ、一杯で駄 目だ、熊が無理矢理引っぱったので、緒が切れて、一度に「すべたあま」「物置 野郎」etc.etc.…。 このところ進境著しい市馬、楽しい高座だった。
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