辻井喬さんの松本清張論2009/11/30 06:54

 25日に『知る楽』“こだわり人物伝”で、詩人・作家の辻井喬(堤清二)さ んが、松本清張に関連して、とてもいい話をした。 松本清張はほとんど読ん だことがなかったが、先日、松本清張記念館に行ったので見る気になって、得 をした感じがした。 「松本清張 孤高の国民作家」を4人の方が話した最後の 回で、「タブーへの挑戦」という題だった。

 辻井喬さんは、映画『砂の器』から松本清張に入ったという。 清張は、自 らの苦労の経験から、社会的タブーを背負った人が、どれだけつらい思いをし ているか、悲しみを胸の中に抱いているかを、自分の問題として受けとめて書 いている。 登場人物を善玉、悪玉と単純に分けるのでなく、人間を複雑で矛 盾したものを持った存在としてとらえていたし、とらえることができた作家で ある。

 昭和天皇のご病気の時、辻井さんは外国大使館の人に、経済使節団が来日し てもいいだろうかと訊かれた。 自分もまたユングのいわゆる「集合的無意識」 の一人で、気づかなかったのだが、外の人から見ると音曲など控えた数か月間 は異常だった。 主体性を持った近代人としては、あまり「集合的無意識」を 持ってはいけない。 持ってもいいから、それを客観的に批判できる主体性を 確立していないと、まずい。 その時、思想、言論の自由という問題も、「集合 的無意識」の問題まで掘り下げて、もう一遍認識しなおさなければならないん だ、と思った。 清張は、そういう認識を助けてくれる作家である。

 タブーに挑戦するということは、みんなが通念としてタブーを作っている面 があるから、読者が自分で作っている「集合的無意識」を、あえて壊す手伝い をすることになる。 下手に手伝いをしたら、叱られるだけで、作家としては やっていけないことになる。 清張の場合は本当に苦労したから、「集合的無意 識」を持っている人にも、やっぱりそうかと思わせるところがある。(つづく)

コメント

_ 木下 ― 2009/11/30 13:00

ユングでは集合無意識とともに興味深いのが『影』なのですが、某共産主義国の仮想敵国などまさにそんな感じですね。

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