小満んの「二階ぞめき」吉原ご案内 ― 2010/12/01 07:12
鳥の子色か薄茶の着物に、黒の羽織。 小満んは、きょうは吉原にご案内し ます、と。 粋がって遊ぶと、会話も洒落てくる。 意地と張りで、男を磨く。 無駄に金を使うのではない。 元和3(げんな・1617)年から40年人形町に あった吉原は、今の場所に移ったが、明治まで260(250)年、昭和33(1958) 年になくなるまで330(340)年、アメリカ合衆国より長い歴史がある。 遊 女三千人公認御免の場所。 男はミツバチ、金を運んで来る。 〈吉原が明る くなれば 家は闇〉 若旦那の遊びが過ぎると、勘当、廃嫡となるが、その一 歩手前に座敷牢というのがあった。 だが、出入りの大工は、座敷牢を作るの を辞退する。 代が替わると、お店をしくじることになるから。
吉原は元日一日だけお休み、〈吉原の二日は嘘の封を切り〉 五節句を、五つ 紋と洒落て、紋日(もんび)と言った。 揚代は倍、月の内に十日も紋日をつ くって、岡場所は繁昌した。 月折々に趣向をこらし、月の紋日といって、十 五夜、十三夜、その間の九日も菊にひっかけて、紋日にした。 出かけようと する若旦那に、親父「なぜ月見が家で出来ぬ」 散財となる。
みんなが散財したわけでなく、ほとんどが「ひやかし」、素見(すけん)だっ た。 七割が素見、〈素見者 念には念を入れ〉 顔に格子の痕をつけ、吸いつ け煙草(長ぎせるの口紅のついた吸口を客にむけて手渡して、一服すわせる江 戸以来の伝統サービス)を吸ったり、〈スイカの二切れで吉原見て帰り〉 ここ で小満んは、吉原田圃のカエルが連れ立って「ひやかし」に行く小噺をやった。 志ん生の録音でお馴染みの傑作だ(ご希望があれば、また別に紹介するけれど)。 最後に「鳥羽僧正もびっくり」と。
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