ヨネ・ノグチ、野口米次郎 ― 2010/12/20 07:01
奥山春枝と同じ1890(明治23)年に、慶應義塾に入った野口米次郎につい て調べる気になったのは、映画『レオニー』を観たからだ。
野口米次郎は、詩人、慶應義塾大学部文学科初代教授。 1875(明治8)年、 愛知県海部郡津島町(現津島市)に生れた。 慶應義塾で英語、歴史、経済学 を学んだが卒業せず、1893(明治26)年19歳の時単身アメリカに渡る。 雑 役夫などをして苦学の後、オークランドの詩人ウォーキン・ミラーの学僕とな って詩作に関心を持ち、詩壇への登場も助けられた。 渡米後三年目に第一詩 集『Seen and Unseen』(1897)を出版して注目された。 その後1902(明治 35)年イギリスに渡り、ロンドンで『From the Eastern Sea』(1903)を自費 出版して、トーマス・ハーディやアーサー・シモンズから賞賛を受け、英国の 詩人たちと往来するようになった。 1904(明治37)年、11年ぶりで帰国、 慶應義塾の英文学教授となり、以後40年間にわたって詩の講義を担当した。 「あやめ會」を起して詩人の国際的交流を図り、1913(大正2)年イギリスの 詩人W・B・イエイツに招かれて、1914(大正3)年にオックスフォード大学 などで日本の詩について講演を行った。 これらの講演は『The Spirit of Japanese Poetry』(1914)、『The Spirit of Japanese Art』(1915)として刊行 され、「ヨネ・ノグチ」の盛名を馳せた。 浮世絵や能に造詣が深く、のちに『六 大浮世絵師』(1919)などを出している。 日本語の詩集としては『二重国籍 者の詩』(1921)、『林檎一つ落つ』『沈黙の血汐』(1922)、『山上に立つ』(1923)、 『表象抒情詩』全四巻その他があり、多量の芸術、詩歌に関する著作がある。 1947(昭和22)年7月13日没、享年71。 墓所は神奈川県藤沢市の常光寺。 息子に彫刻家のイサム・ノグチがいる。
以上は、『慶應義塾史事典』「野口米次郎」(この項、新倉俊一さん)と、角川 文庫『現代詩人全集』第二巻近代IIの略歴によった。 前者で1897年とある 『Seen and Unseen』は、渡米後三年目=1896年の出版かもしれない。映画プ ログラムの研究者星野文子さんの記述、『明界と幽界』は1896年。
『レオニー』という映画は、ニューヨークで野口米次郎と恋に落ちて、1904 年ロサンゼルスでイサム・ノグチを産んだ、レオニー・ギルモアの物語である。
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