「日本経済の針路」を聴く ― 2010/12/25 06:40
18日の土曜日、珍しく“ゆく年をふりかえり、来る年を展望する”「年の瀬 経 済講演会」というのを聴きに行った。 50年前は経済学部だったことを思い出 す。 経済学部と現代の政治・経済を考える「樫の会」共催、三田通りに面し た元の幻の門の上、東館の8階ホール、講師は鈴木淑夫(よしお)さん、演題 は「日本経済の針路」だった。 挨拶に立った小室正紀経済学部長(元福澤研究センター所長)は、鈴木淑夫 さんこそ、福沢のいう「実学」、サイエンス=実証科学の人、エコノミスト、バ ンカー、政治家、学者である、と話した。
鈴木淑夫さんの講演で、印象に残ったことが二つあった。 一つは、日本の 「失われた10年」の経験を、いま米欧がしているという話だった。 日本の 経験によって、大型の資産バブルが発生・崩壊すると、長期間のバランスシー ト調整が必要になり、支出抑制と信用収縮で長期停滞とデフレ化をもたらすこ とが明らかになった。 現在、財政緊縮・金融緩和は、通貨の切り下げ競争・ 資産バブルの輸出懸念となり、国際的批判に直面しており、その結果、米欧の 長期の成長停滞が予測され、米国に「デフレ化(日本化)」の恐怖があるという。
アジアが世界経済の成長をリードしている。 2010~11年の成長寄与率はア ジア新興国・途上国が48%、先進国が28%であり、同時期の先進国・地域の 成長率では日本が最高だ。 日本の有利な条件は、バランスシート調整の完了、 アジアに存在、エネルギー・環境・省エネ・省資源・鉄道などの技術があるこ とで、不利な条件は、デフレと低成長である。 日本は、長期的には、企業の 期待成長率を高めることができるかにかかっている。 EPA(経済連携協定) を張りめぐらし、日本の技術を活かした輸出と直接投資でアジア経済と一体化 できるか。 国内に雇用を生み出す新成長戦略産業を規制緩和、財政支援、融 資優遇などで育てられるか。
というわけで、もう一つは、自信を失っている(期待成長の低下)企業が、 積極的に設備投資をしたり、雇用を増やしたり、賃金を上げたりすること。 期 待成長率が低いから、設備投資も賃上げもしないことが、日本でデフレが進行 している理由だという。 鈴木さんは、全産業の経常利益と雇用者報酬をグラ フにして示したが、その乖離は恐るべきもの(鈴木さんの言葉)であった。 (そ ういえば、最近の労働陣営はなぜか、おとなしい)
EPAと農業の問題についての質問に、鈴木さんは実施して対策を取ればよい、 (1)価格支持でなく所得保証、(2)大規模化(農業と工業の一体化)、と答え た。
2011(平成23)年の日本経済が、明るい方向に進みますように。
江戸文化の仕掛け人<等々力短信 第1018号 2010.12.25.> ― 2010/12/25 06:43
柳家小満んが、先月のTBS落語研究会に「二階ぞめき」をかけた。 「ぞめ き」というのは、遊廓をひやかし騒ぎ歩くこと。 吉原は、元和3(げんな・ 1617)年から40年人形町にあって、今の千束に移ったが、昭和33(1958)年になくなるまで340年間、「アメリカ合衆国」より長い歴史がある、と演った のには、吹き出してしまった。
蔦屋(つたや)重三郎(1750~97)、通称「蔦重」は、その吉原で生れた。 24,5歳で妓楼や遊女の名などを詳しく記したガイドブック『吉原細見』を出版、 飛ぶように売れる。 毎年刊行し、版元として頭角を現す。 時は江戸の中期・ 安永、戦国の時代ははるかに遠く、百万都市江戸の市民たちは、太平の御代を 謳歌していた。 当時の吉原は、知識人が集う文化サロンであり、文化の発信 地だった。 蔦重は新吉原大門口の、自らの書店で出版工房でもある「耕書堂」 をたまり場とし、狂歌師の大田南畝、戯作者の山東京伝など、その頃屈指の文 化人たちと意図的に交流、南畝や京伝の本を出版し、自らも蔦唐丸(つたのか らまる)の名で狂歌の会に参加していた。
六本木のサントリー美術館で「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」 展を見た。 蔦重版『吉原細見』は18.5×12.4センチ、今の新書判より少し大 きい位、細かくびっしりと書いてあるので、老眼には読みにくい。 吉原へ行 くような連中、昔は特に、目が良かったのだろうなどと、思う。 安永9(1780) 年、蔦重の黄表紙出版が始まる。 黄表紙も、同じような大きさだ。 山東京 伝は、もともと北尾政演(まさのぶ)という浮世絵師で、22歳の時に文章と挿 絵の両方を手がけた黄表紙『御存商売物』のヒットで世に出る。 その天明2 (1782)年の暮、京伝は蔦重の招待で、当時人気の戯作者でその後の狂歌ブー ムを牽引していく四方赤良、朱楽菅江、恋川春町、唐来参和、元木綱といった 面々や、さらには師匠の北尾重政、同門の北尾政美(鍬形蕙斎)らと共に、吉 原の大文字屋で遊んでいる。 蔦重は当代一流の絵師を起用して、花魁道中な ど遊女の艶姿や生活の情景を華麗な浮世絵として刊行し、人気を集めた。 京 伝・北尾政演の『青楼名君自筆集』、早くからその才能を見込んで家に居候させ ていた喜多川歌麿の「青楼十二時」シリーズはその成果だ。 蔦重は松平定信 の寛政の改革で身上半減の処分を受けるが、「学問ブーム」に乗り単価の高い堅 い往来物(初歩の教科書)や稽古本を出したり、歌麿の大首美人絵や写楽や北 斎の役者絵を世に送る、アイデアマンだった。
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