“江戸ッ子”女の覚悟2011/01/07 07:07

 近頃は講談というようになったが、昔は必ず講釈といい、講談と呼ぶのは田 舎者にされていた、という講釈が、川口松太郎『人情馬鹿物語』の初めの方に ある。 括弧書きして、(然し、今は私も講談と呼ぶ)とある。 当時、講談は すでに衰退の道を歩んでいたらしい。 最後の第十二話「彼と小猿七之助」に、 その一端が描かれている。 活動(写真)が流行って、寄席の客が取られると いう話が出て来る。

 円玉の弟子だった円林は、円玉が高座を引退した後、桃川如燕の門に入って 燕林と改名した。 その燕林が、下谷金杉の金杉館という色物席の看板娘お道 と一緒になりたいので、金杉の親父岩本に信頼の厚い円玉に話をしてくれるよ うに頼みに来る。 愚かで不足で貧しい燕林だが、お道はその芸に惚れ、この 男を育てなければ講釈の後継ぎがなくなって江戸伝来の芸がすたる、苦労も覚 悟で女房になろうと堅気の嫁になることを諦めたと、しっかりしたことを言う。  燕林に「小猿七之助」を演らしてみて、「うめえ」と、思わず円玉は手を打った。  芸にゆとりを持ち出している。 お道を家に預かり、円玉が金杉館に行くと、 岩本は話を聞かない内に断わった。 実は寄席の不景気が続き、金杉館を抵当 に高利貸から金を借りたのだが、返済ができず抵当流れになるところを、竜泉 寺町の請負師の国清彦兵衛に助けてもらった。 国清は上野山下に活動小屋を つくって、大当りに当っていた。 借金の肩替りも、金杉館を映画館に改造し て株式会社にして、経営は岩本に任せるという話で、ただ一つ条件があった。  お道をやる約束だった。 国清にはお内儀さんがいるが病気で女房の役が勤ま らない、当分正妻としては行きませんが…、という。

 円玉が「死んでも国清の妾なぞになるな」とお道を匿い、騒ぎを聞いて、深 川万年橋の原茂三郎というやくざが仲裁に入った。 国清と同じ土木屋で洲崎 の埋め立てを請け負っていることもあり、原組と国清組の喧嘩という大ごとに なる。 お道は燕林を納得させ、「あたしが帰って解決をつけます」と金杉に帰 り、原を射ち殺す手筈の喧嘩支度をしている竜泉寺町の国清へ、ひとり乗り込 んだ。 「あたしだって生娘じゃありません。約束をした男があって夫婦にな るつもりでしたが、お父っさんの借金から御迷惑をかけた上は、体で返すより 他はない。生娘でなくてもようございますか」「好きな男と約束したあたしです から、年を切って世話をしてくれませんか、親分にもお内儀さんがあり、あた しにも好いた男がいるんですから、長い約束は出来ません。一年間で暇を下さ い」

「よし」と、彦兵衛は頷いた。頷くより仕方がなかった。

「年ぎめの女にしては値段が高いかも知れませんが、金杉館を改装して、親の 面倒を見て下さい」

「よし」とそれも頷いた。

 お道の運命は如何に。 燕林と講談はどうなるか。 それは、また明日。