“人情馬鹿”の人情噺 ― 2011/01/08 06:36
お道は、国清に深川の原組との喧嘩もやめる約束をさせ、「身の廻りのかたを つけて来ますから、あしたは迎えに来て下さい。例え一年の約束にもせよ、親 分のお側(そば)で暮すのだから、みっともなくないように一門の児分衆へ顔 つなぎをして下さい」と、とどめを刺して竜泉寺を出た。
燕林が子供のように泣くのを、「あたしがいなくなっても芸の修業を怠るんじ ゃないよ」、「一年間のお別れに今夜此処へ泊って行く」という。 翌る朝は悟道軒へ行き、「斯うするよりいたし方がありません」、「女には惜し い奴だ」と円玉も涙ぐむ。
お道は、国清の妾になった。 彦兵衛は、年もまだ四十二で活動写真館を六 つも持ち、児分の数も百人に近く、その生活も華やかで、金放れも美しく児分 の信望も厚かった。 若いお道が中心に坐ると、家中の空気も明るくなり、彦 兵衛も嬉しそうにお道を信じ、竜泉寺へ来て十日目にはもう正妻同様だった。 頭の冴えているお道は、児分や人足を巧みに操り大所帯を切り廻して、彦兵衛 の信頼ばかりでなく家中の尊敬を集め出した。 金杉館の改造も出来て、両親の生活も順調になった。 家をお道に任せ切っ て、仕事に打ち込む国清が、男らしく見え出すばかりか、お道への情愛も申分 なく、幾ら金がかかっても知らぬ顔に訊こうともしない。 あっと思う間に一 年が過ぎた。
「いやな辛抱をよくしてくれて有難かった」と、国清は男らしく、「別れるの は悲しいが約束で仕方がない」と、残り惜しそうに目を伏せて、その頃の金の 千円を包み、「倖せに暮しな」と、さっぱりいって未練を口に出さなかった。
お道は迷いに迷いぬいた。 一年間の生活で男らしさに惚れ込んでしまった。 きびきびと仕事をして、稼いだ金を綺麗に散じ、幅を拡げる頭の冴えもお道の 性格にぴったりと合う。 こんな男と一生を過ごしたら、どんなに倖せになれ ようかと思う。 約束の根岸に帰っても燕林が馬鹿に見えそうだ。 芸の力を 除いてしまえば不足の多い人柄なのだ。 華やかな生活と、男らしい彦兵衛を 棄て、荒物屋の二階に行ったら、定めし見ざめがするであろう。
お道が荒物屋の二階へ行くと、燕林は七輪の下を煽いでいた。 男やもめの 暮しの暗さが姿までも汚くして彦兵衛とは比較にもならない。 でも、会えな い一年間を一生懸命に修業だけに打ち込んで来た、という。 一年前に悟道軒 で聴いた「小猿七之助」を、直ぐに聴いてみる。 扇を握って構えつけると、 きりきりと顔が引き締まる。 調子をつけて畳み込む意気の好さが一年前とは がらりと変った。 お道の心は忽ち酔った。 「修業を積んだ」「好い芸人にな んなすった」と、思った。 芸の中に浸り切って、愚かで不足な燕林が日本一 の男に見えた。
落語には、人情噺という分野がある。 中には講談から出ているネタもある。 この物語など、恰好の人情噺になりそうだと、思った。
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