井上ひさし『樋口一葉に聞く』と本郷2011/01/16 07:25

 井上ひさしさんは、もう樋口一葉女史に会っただろうが、生前にも会って話 を聞いていた。 井上ひさし こまつ座(編・著)『樋口一葉に聞く』(文春文 庫)によれば、一葉女史に会いたくなった井上さんは、彼女の最終居住地・本 郷区丸山福山町四番地に速達便を出すなど百数十通りの方法を試した末、女史 の命日に下総国分寺の墓場で般若心経を唱えたら現れた馬頭の鬼のおかげで、 縁先に三坪ばかりの池があり、近くの精神病院で時刻(とき)を知らせる太鼓 の鳴り、砂糖入りの麦茶(むぎゆ)の出る丸山福山町四番地の座敷に坐ってい た。 「よほど失敬な人ですね、あなたは。そうすると、わたしがたとえ長生 きしたとしてもたいした小説は書けなかっただろうと言うのね」と、一葉女史 は言い、井上さんは「一葉は日本文学史上最後の、文語による作家であった。 あ なたの文体は、明治までのわが国の文章のよいところを集約したものなのです よ。 あなたのところで日本文章史は塞(せ)き止められたのです。 あなたの 文章がわたしたちの心を打つのは、ひとつにはあなたの文章が和文脈による文 語文の最後の絶叫だからなのですよ。 あなたのすぐあとに本格的な言文一致体 の時代がやってきます。 つまりあなたは早死にしたおかげで、負け戦さをせず にすんだわけですね」と、答えている。

 樋口一葉と本郷の縁は深い。 明治9年の4歳から9歳までの5年3か月、 本郷6丁目5番地、東大赤門前の屋敷「桜木の宿」に住み、幸福な少女時代を 過ごした。 隣の法真寺境内には今、一葉記念館があり、毎年11月23日の命 日には一葉忌をとり行なっている。 明治23年の18歳から1年6か月を本郷 区菊坂町70番地で、その後1年2か月を菊坂町69番地で暮したあと、21歳 で下谷区竜泉寺町368番地に転居、10か月を過ごした。 明治27年5月本郷 区丸山福山町4番地(現在の文京区西片1-17-17)に転居、極貧ながら「大つ ごもり」「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」を次々と発表した「奇跡の14か 月」を含む2年6か月を過ごして、明治29年に肺結核で亡くなる、24歳であ った。