女座長五月洋子の建前と現実 ― 2011/01/26 06:53
十日後に取り壊し、跡地にはマンションが立つという、さびれた芝居劇場(こ や)の淋しい楽屋。 7月の午後6時前、大事な初日、土曜夜の部の幕が開く まで、あと、4、50分。 大衆劇団「五月座」の女座長五月洋子(46)が一代 の当り狂言と自称する前狂言『伊三郎別れ旅』が始まろうとしていた。 五月 洋子は化粧を始め、幕間の口上を考えている。
「今を去る二十年前、わたくしの夫二代目五月龍太郎は三十一歳の若さで、 この世を去りました。……この劇場のこの舞台の上で、お芝居を演じている最 中、突然、息を引き取ったのでございます」。 たしかに二十年前、あたしの亭 主は消え失せた。 ただし落ち目の一座を見捨てて、贔屓客と、両国の鉄材問 屋さんの二号と手に手をとってどこかへ逃げて行ってしまったのさ。 「当時 は、錦之助、千代之介そして裕次郎が人気絶頂の頃、そして皆さまの御家庭に テレビがおそろしいほどの勢いで普及していた時代でございました。昭和二十 年代の連日大入り超満員はまるで嘘のよう、どこの芝居小屋にも閑古鳥が住み つき、大衆演劇劇団は、昨日一つ、今日二つ、明日三つという具合に次から次 へと潰れて行っておりました」。 「わたしども『五月座』も青息吐息のその日 暮し。そこへ夫の突然の死、悪いときには悪いことが重なるもの、転べばバッ タリ糞の上」 おまけにあたしは生後三カ月の乳呑児を抱えていた。 「けれ ども、わたしどもには、…その数はすくのうございましたが、熱心で心の温か い見巧者のお客がついていてくださいました」。 いやらしいのもいやがったね え。 切符五十枚ひとまとめに買ってやるから一晩おれのしたいことをさせて くれろだなんて言い寄ってきてさ。 こっちとしては断われないじゃないか。
14日、新宿の紀伊國屋ホールで、井上ひさし追悼 こまつ座 第九十二回公演、 井上ひさし作、鵜山仁演出の、平淑恵のひとり芝居『化粧』を観てきた。 い ま、始まったところだ。
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