子を捨てる母親の覚悟 ― 2011/01/27 07:05
女座長五月洋子は、「どうして(この芝居には)だれも出てこないんだ?」と 言うけれど、下手(客席から見て左側)は舞台の袖へ通じ、初めにお茶を出し てお化粧が薄い、べったり壁のように塗っとくれよと言われる敏ちゃん、自称 「関東大衆演劇界切ってのふけ女形(おやま)」の市川中丸おじさんなど、座員 たちがいる。 上手には、あとでTBSテレビの小山さん、それからニューミュ ージックのグループから俳優に一人立ちした田上晴彦が登場する。 上手に大 家やご隠居さんがいる落語と同じだ。
『伊三郎別れ旅』、銚子湊に山源一家、山本源五郎という良いやくざの親分が いた。 若親分で腕の立つ伊三郎が、下総佐原村の香取神宮へ代参に出かけた 留守に、新興やくざで悪玉の伊勢辰一家に殴り込みをかけられ、ひとり残らず やられてしまう。 伊三郎が駆けつけると、山源親分は虫の息、「おれの命は夏 場の牡丹餅、どうにも夜まで保ちそうもねえ」と、実は伊三郎は乳呑児の時の 貰い子で、本当(ほんと)の母親は、「風の便りじゃ空ッ風嬶天下の上州の、沼 田峠に茶屋を出し、お茶と草鞋を商って、ひとりほそぼそと生きておいでだ。 おれの仇(あだ)なぞ討たずともいい。……これこのお守はそのときの、乳呑 児の首にあったもの、おそれ入谷の鬼子母神のお守だ。」
いまわのきわに不自然すぎる長台詞、そのせいでこれまで大衆演劇の一座が いくつ潰れたか知れやしない。 (上手のTBSの人を見て)シェイクスピアに も今みたいな場面が多い? シェイクスピアと…、新劇のほうの総大将でした わね。 新劇のほうでは、今みたいな場面をやっても劇団が潰れたりしないん ですか。 しない? いいですわね、新劇のお客様はおっとりしていて。 平 淑恵の「新劇」という台詞の度に、客席が笑う。
TBSは、朝の芸能ワイドショーの田上晴彦とのご対面に出ないか、と言って きたのだった。 五月洋子は「物を捨てるのならともかく、自分のお腹を痛め た可愛い子どもを捨てるんだ、その母親にもそれなりの覚悟があってそうした んでしょうよ」と、断わる。
井上ひさしさんは『化粧』初演時のパンフレットに、こう記しているそうだ。 『ぼくの母親は「孤児院には行きたくないなあ」とぐずぐず云っていると、じ つに客観的な口調でこう宣言したのである。「子を捨てる薮はあっても自分を捨 てる薮はない」と。(中略)この一言は爆弾だった。その爆音をいま劇化すると すれば、これからごらんいただくような一幕になるだろう』(『the座』67号4 頁) 劇場の入口で、一昨年11月こまつ座の社長になった三女の井上麻矢さんが 挨拶をしていたが、この人にも「母親」に対する、どんな思いがあるのだろう か、と思った。
最近のコメント