『萬延元年 横浜細見』2011/01/30 08:11

 『萬延元年 横浜細見』は、『吉原細見』とそっくり同じ造りなのだろう、表 紙を除いて(27×2)54ページ建。 表紙裏に、まず料金表「遊女揚代直段合 印」(各遊女に付いている印の説明)、「揚屋舞手踊」と「座敷代」(芸者をあげ る料金)、「揚屋の(規模の)印」、紋日(?)の一覧表がある。 1頁「まえが き」、2・3頁「揚屋の配置図」、4頁~33頁「一壽齋芳員画・港崎遊廓の全体と 各建物を描いた風景画」、34頁~「異人遊興揚屋 仲の丁 岩亀楼さゐ(←楼主 の名らしい)」を始めとするそれぞれの揚屋の「遊女・新造・かむろ・禿舞子・ 仲居の名前」が43頁まで続く、3頁の空白(増設用)の後、47頁~52頁局見 世の「遊女の名前」、53頁は男芸者之部・女芸者之部、54頁は案内茶屋之部と なっており、奥付に萬延元申 歳春 岩亀楼蔵版、製本所 江戸芝神明前三島町 丸 屋甚八 同京橋南紺屋町 伊勢屋卯之助 横浜港崎廓大門前 伊勢屋しゅん、と ある。

 1頁の「まえがき」は、「今や四方の海浪静にして、諸舶渡来の船印ハ竪横浜 の新港にいや賑はへる繁昌を猶も集合(つどひ)て港崎へ、花柳の里をものす れバ……」に始まり、萬延元年を「よろづ のぶるといふ はじめの年 卯月 梅 亭漁父述」としてある。

 問題の料金表「遊女揚代直段合印」だが、34頁からの遊女の名前それぞれに 付けられている印の意味を説明している。 「#」に小○三つ、昼夜金三両 夜 斗金壱両弐分。 「#」に小○一つ、昼夜金弐両 夜斗金壱両。 「#」のみ、 昼夜金壱両弐分、夜斗金三分。 △△△、昼夜金三分、夜斗金一分二朱。 △ △、昼夜金弐分、夜斗金壱分。 △、昼夜金壱分、夜斗金弐朱。 大まがき印 の付いた「岩亀楼」では、岩越・岩□・岩照・岩之助・勝山・亀人の7名が「#」 に小○三つ、若人・菊の井・初の井・九重・八重花・若糸・玉歌・田毎・住の 井・染菊・千代春・代々花・花園・三代春・若の井・紅梅・白菊の17名が「#」 に小○一つ、新造の此梅以下13名が「#」のみ、となっている。

 一壽齋芳員画の港崎遊廓風景は、横浜田圃の中に提灯を下げた賑やかな揚屋 の並ぶ見開きの一枚、斜め上から大門から橋を渡って入った通りを侍や町人や 女、異人たちが大勢歩いているもう一枚、そこからは大門・玉川楼(小まがき)・ 保橋楼(小)・泉橋楼(中)・千歳長家・寿長家・金浦楼(小)・伊勢楼(中)・ 新岩亀(大)・見番=幸福楼・岩里楼(中)・会所・岩亀楼(大)・異人屋敷・新 いすゞ楼(小)・萬長家・いすゞ楼(大)・出世楼(小)・金石楼(小)・開勢楼 (小)・戸咲楼(小)・大門と往復して両側の建物の姿が描かれている。