古今亭朝太の「熊の皮」2011/03/01 07:20

 落語の女房は強く「オイ」と言い、亭主は「ハイ」、「オイハイ」の夫婦、仏 壇にでも入っているようだ。 八百屋の甚兵衛さん、昼ちょっと過ぎに、全部 売れたと、帰って来る。 いい品物を、安く売るからだ。 待ってたんだ、と 女房、水汲んで来て、と。 汲んで来れば、瓶(かめ)にあけさせ、米を研が せ、タライの洗濯物を洗って来い、と言う。 派手な物がある、お前の腰巻、 こんなのを井戸端で洗っていると、女房の尻に敷かれていると言われるから。  素直に洗いなさい、無精しないで。 洗ってくれば、干してくれ。 日の当る 所と言われ、お稲荷さんの鳥居に干す。 横丁のお医者さんから、到来物の赤 飯をもらった、これっぱかりだけど、御礼に行け、と口上を教える。 裏口か ら行って、書生さんに、先生はご在宅か、と聞き、私が、つまり女房がよろし くと、必ず言うように。

 先生は、お長屋の中で甚兵衛さんが一番好きだという。 正直なところが、 いい。 甚兵衛は、先生が一番嫌いだと言い、先生は、そういうところが好き だと喜ぶ。 「ご在宅」が「ご退屈」、「先生にお目にかかりたい」「今、話して いるじゃないか」、「さて、承りますれば」が「さて、うけたまたま・・・ばぁ ー、お屋敷でお弔い(到来物)がありましたそうで、お門多いところを、お石 塔(お赤飯)をありがとうございます、これっぱかり」。 いいなー、甚兵衛さ んは。 先生が行っているお屋敷で、ご病弱なお嬢さんがご全快になり、お赤 飯や、ほかにも品物を頂いた。 熊の皮が一番気に入っている。 甚兵衛は、 随分毛深いものですね、何で出来ているんですかね、何するもんです? 敷物 にすると、夏は涼しく、冬は暖かい、尻に敷く、とな。 尻に敷くで思い出し た、女房がよろしく言ってました、というサゲ。

 朝太、国立だから上品にサゲた。 「熊の皮」はいわゆるバレ噺で、本来は、 熊の皮を指先で触って、そうだ、女房がよろしく、となる。 国立小劇場、お 客は背を向けているが、演者は皇居に向かって話している。 それで、上品に なる。 全体に、朝太の名に恥じない上出来だった。

蜃気楼龍玉の「臆病源兵衛」2011/03/02 07:08

五街道弥助改メ 蜃気楼龍玉、五街道雲助の弟子は、不思議な名前を継ぐ。 三 代目、初代と二代は、不幸な亡くなり方をした、と言う。 そういえば、桃月 庵白酒(はくしゅ)も五街道喜助から白酒になった2005年11月に、同じ「臆病 源兵衛」を演じたが、先代から百年以上経つ三代目という古い名跡だと言って いた。 龍玉、背が高く、顔は小さい、どちらかというとキツネ面だ。

源兵衛は、暗いのが怖い臆病者だが、助平で、金が入ると、女を買いに行く。  安直な所、地獄といわれる根津や深川へ、昼 間に行くから「昼遊びの源兵衛」と呼ばれている。 前にも書いたが、根津遊 廓は根津権現の門前町にあり、「本郷の大名屋敷や旗本屋敷に出入りする大工た ちが通って繁昌したという。明治に入ってますます栄えたらしい。1882(明治 15)年に688人の遊女がいたという。吉原よりは、少ないが、品川遊郭より多 い数である。しかし西隣に帝国大学ができたことを理由に、国家政策で1888(明 治21)年、深川洲崎に移転させられたのだった。今はその面影もない」(田中優 子著『江戸を歩く』(集英社新書))。 未読だが、直木賞を受けた木内昇(「の ぼり」と読み、女性)さんの『漂砂のうたう』は、明治10年の根津遊廓を舞 台にしているそうだ。

「臆病源兵衛」の「あらすじ」は、根津遊郭は「地獄」か「極楽」か<小人 閑居日記 2005.11.25.>に書いた。 龍玉の場合、根津遊郭は「地獄」と呼ば れる最下等の悪所だということを、はっきり強調しておかなかったのが、少し 弱い印象を与えた。 しかし、白酒の時、私がうまく書けなかった最後の部分 を、龍玉は独自の噺にしていた。 http://kbaba.asablo.jp/blog/2005/11/25/154495

ここは極楽だと、不忍池の蓮の花に乗って、「誰だ、蓮の花を荒しやがって」 と、怒鳴られた後、根津で遊んで来た二人連れが「地獄の中にも、極楽がある」 と話しているのを聞く。 どっちなんだと、廓の中へ。 若い衆に聞くと、極 楽だ、弁天様に聞いてみな、という。 弁天様、つまり花魁に聞くと、ここは 地獄のまんまん中だよ、と。 裏手に回ると、白髪を振り乱した婆さんが、今 絞めたばかりのニワトリの毛をむしっていた。 鬼婆だ、やはり地獄か、と聞 くと、私は娘のおかげで極楽さ。 蜃気楼龍玉、なかなか手堅く、面白く聴かせた。

志の輔の「みどりの窓口」前半2011/03/03 07:13

 志の輔は、(ぎっくり)腰をやって、昼間の仕事を一つダメにして、びくびく しながら出て来たと言う。 腰痛にならない番組の司会をやったのに、と。 薄 緑の着物に、朱色の袴。

 今年はデジタル元年、家にはテレビがデジタルとアナログと一台ずつある。  アナログが愛おしくなる。 上と下に黒い帯が出て、慇懃無礼な文句が流れる。  あれは4月過ぎると「いい加減にしたらどうですか、7月まで替えないのです か」とか、だんだん文句が変って行くのではないか。 7月、絵は映らなくて も、帯だけは映るのではと、楽しみにしている。 デジタル人間に、アナログ 人間と言われるけれど、そんなこと思い込んじゃあダメ。 アナログは、アナ ロジーの原形で、一言で言うと、「絵」のようなもの。 デジタルは「数」で数 える。 聞いてますか? わかりやすく言う奴が、こう言った。 ライスは「並」 でよろしいですか? 「大盛」だと、食べられるかどうかわからないから、「や や大盛」にして、というのが「アナログ」。 「並」は3,650粒です。 じゃ あ、4,000粒にして、というのが「デジタル」。 レコードと同じだ。 A面と B面があって、ひっくりかえすのが面倒だというので、出来たのが、CD。

 「みどりの窓口」には、いろんな客が来る。 鎌浦まで火曜日に大人二枚、 母につきあって山水荘に5時に着きたいの、駅から? 30分かかる。 一時間 毎にあります、14時27分の浜潮はどうです、一杯ですね、グリーン車を見ま しょう、満席だ、自由席はどうです。 自由席、座っていける? 一本前を見 ましょう、一杯だ。 あれ頂戴よ、国会議員の席はあるんでしょ。 もう一本 前っと、12時台は、ないや。 なんで、JRは12時台を走らせないのよ。 後 ろに並んで下さい。 並び直すの、割り込むわよ。

 来月25日に、宮崎へ行きたいという老夫婦。 ありますよ、東京から小倉 まで新幹線、あとは在来線ですね。 早いほうがいい、始発ですね。 孫が福 井にいるので、一緒に連れて行きたい。 小学4年生なので、迎えに行く。 6 時23分の「ひかり」で米原まで、福井へ行って京都に出て、新幹線で小倉ま で、小倉から宮崎。 孫の親である娘夫婦も連れて行きたい、長野にいる。 孫 を見せたいので、福井から長野へ、喜ばせたい。 どういうわけで、離れ離れ にお暮らしかわからないけれど、本州を半周することになる、周遊券の適用を 見ましょう、大丈夫です。 アノー、来月25日は大安でしょうか。 わかり ません。 家へ帰って、見てきます。 切符が、いっぱい出て来る。 切符、 いらないのに。

 イヨッ、こんちは。 今村まで、生きのいい列車を一枚。 グリーン車も、 自由席も、一杯ですね。 何番窓口に行けば、あるんだ?  東京がだめなら、 有楽町の駅へ行くぞ。 コンピューターに入っているんだから、どこの窓口で もダメです。 金比羅様だかなんだか知らないが、その箱開けて、さっきの人 みたいに、切符、全部、並べてみろよ。 俺には、出せねえのか、おい。 後 ろの客たちが、叫ぶ。 売ってやったらどうなんだ。 みんなで有楽町へ行こ う。

志の輔の「みどりの窓口」後半2011/03/04 07:16

 志の輔のしゃべりから、あらすじを書くというのは、困難な作業だ。 長く なるだけで、つまらない。 でも、乗りかけた船だ。

 二人の男が、ガード下の居酒屋か何かで、酒を飲んでいる。 一人が深刻そ うな声で、おれ、辞めようかなと思う、と言う。 もう、嫌になった、「みどり の窓口」が…。 おだやかな方が、慰めて、辛抱強く説得し、もう一遍、明日 は行ってみようか、ということになる。 ビール、もう一本、それとワカサギ のフライ、一人前。 ごめんなさい、ワカサギのフライ、切れちゃった。 ビ ラを外すとか、バッテンをつけるとか、しといてくれよ。 今、終っちゃいま した。 俺はワカサギのフライが好きなんだ。 ワカサギのフライが食いたい んだ。 始めてくれよ、探してくれよ、ないないって言うけれど、本当はある んだろう、国会議員の分が…、あれ、出してよ。 親爺が出て来て、強面で断 わると、さらに言い募る。 今、持っている魚、ここに全部、並べてみろよ。  何、仕入れに行かなかった? 朝寝坊したんだろう。 いや、朝寝坊したんじ ゃなくて、「みどりの窓口」の職員が、切符の入っている箱を、開けなかったか ら…。

 志の輔は、ゆっくりと立ち上がった。 噺を聴いていた私は、その時まで、 志の輔が腰痛だったことを、すっかり忘れていたほどの熱演だった。 志の輔 が「みどりの窓口」をどれだけ語り込んでいるのか知らないが、新作も十分通 用し、聴くに値することを証明する高座だった。

歌武蔵の「植木屋娘」前半2011/03/05 06:53

 歌武蔵、落語研究会に出させてもらうのは光栄なんだけれど、なぜかタイミ ング的に、大相撲に問題が起こる、という。 でも、きょうは、ごめんなさい。  どうしても聞きたい方は、楽屋のほうへ、何か包んで来ていただければ、耳元 でささやきますが…。

 植木屋の幸右衛門、無筆で書き出し(請求書)を旦那寺の和尚に頼む。 客 に、字の稽古をしたほうがいい、字が死んでいる、塔婆みたような字だ、とい われる。 和尚も忙しいので、なかなか書き出しが出来ない。 集金しなけれ ば支払いが出来ないから、一家でお寺に逃げ込もうか、と和尚に掛け合うと、 伝吉という若者に書かせようかということになる。 幸右衛門の覚えは、○は 10円、△は5円、□は1円、□の中に縦棒は田中さん、チョンチョンチョンは 森さん、チョンチョンチョンチョンチョンは大森さん。 伝吉は、あっという 間に片付けて、おっかあ酒だ、伝吉さんをダシに俺が飲む。 伝吉は、しょっ ちゅう来て、てきぱきと書き出しを片づけ、あれはこうしたらどうだと的確な ことを言うから、幸右衛門はすっかり気に入る。

 娘のお花は18、両親に似ず、今小町といわれる、いい女。 幸右衛門は伝吉 を養子にとって、自分たちは隠居しようと考え、羽織を着て、和尚のところに 談判に行く。 和尚、勘違いして、私は今年71、男としての力を発揮できるか、 と。 伝吉、あれはいかん、さる所からお預りしている、近々返そうかと思っ ている、駄目なものは駄目。  さて、幸右衛門と和尚、お花と伝吉の取組はどうなるか、長くなるので、また明日。