すわ一大事、放射性物質か?2011/03/25 06:22

 前夜の雨は上がっていた昨24日朝、朝刊を取りに出ると、前庭のタイルに、 一部濡れた部分と、乾いた部分があって、乾いたものの端が黄色くなっている。  すわ一大事、昨日の雨にまじって降って来た放射性物質が乾いて固まったか、 と思った。 ガイガー・カウンターがあれば、早速測定したいところだ。 大 陸から黄砂が飛んで来たというニュースは聞いていない。 トクダネかもしれ ぬ、と写真を撮った。 朝刊は、金町浄水場(葛飾区)の水道水から、1キロ あたり210ベクレルの放射性ヨウ素が検出され、東京都が東京23区と多摩5 市で、幼児に水道水を与えることを控えるように呼びかけていることを報じて いた。

 昼のNHKニュースで、シートや道路や自動車などに積もったり、くっつい たりした「黄色い粉」についての問い合わせが、気象庁などに殺到しているこ とをやっていた。 やはり、放射性物質を疑ってのことだった。 気象庁や東 京都が調べたところ、この「黄色い粉」の正体は、前日大量に飛散したスギ花 粉だったそうだ。 道理で、24日朝、クシャミをして、目が覚めた。 その直 後、起き上がらない内に、余震かと思われる地震があったのも思い出した。

天災は忘れた頃来る<等々力短信 第1021号 2011.3.25.>2011/03/25 06:23

 「天災は忘れた頃にやって来る」という言葉は、寺田寅彦が言ったものだと、 思っていた。 このたびの大震災で思い出して、寺田寅彦のどこにあるのか、 岩波文庫の『寺田寅彦随筆集』を探してみた。 私の書棚には、なぜか全五巻 の内、一、二、四巻しかなかったが、とりあえず関東大震災の時期はカバーし ていた。 でも見つからない。

 「断水の日」には、大正10年12月8日夜のかなり強い地震の話がある。 東 京に住むようになって以来覚えないくらい強いもので、明治28年来の地震だ った。 淀橋近くの水道の溝渠がくずれて付近が洪水のようになり、東京全市 に断水の恐れがある。 かなり以前から多少亀裂が入って弱点のあった所だと いうから、こういう困難は当然予想され、応急の処置や設備はあらかじめ充分 に研究され、応急工事の材料や手順はちゃんと定められているだろう、と思っ て安心していたら、全市断水となった。 断水で経験した不便や不愉快の原因 を探って、今の日本における科学の応用の不徹底とその表面的であることに帰 着して行く、と寺田は言う。 「忘れた頃」は、出てこない。

 「池」という随筆は、三四郎池がただ「池」と呼ばれ、去年の火事(関東大 震災のそれかと思われる)で、だいぶ様子が変わってしまった話である。 建 物などは、どうでもなるだろうが、古い樹木の復旧は急にはできそうもない、 惜しいものである、という。 「池」は、理系にとって、学術上の研究資料の 供給所であり、一つの実験用水槽でもあった事実が、列挙される。 ここにも、 「天災は忘れた頃」は、出てこない。

 私に見つけられなくても、当然だった。 寺田寅彦を生涯の師と仰いだ中谷 宇吉郎も、「天災は忘れた頃来る」という言葉が、先生の書かれたもののなかに あるものと思い込んでいた、という。 昭和15年頃、東京日日新聞だったか に頼まれて「天災」という短文を書き、この言葉を引用(?)して、この寅彦 先生の言葉は、まさに千古の名言であると書いた。 それが方々で引用される ようになり、とうとう戦争中に朝日新聞が、一日一訓を編集した時、九月一日 の分に採用された。 中谷は、出典と解説を頼まれ、天災に関係のありそうな 随筆を、片っ端から探して見たが、どうしても見当たらない。 寺田の代表的 随筆「天災と国防」には、全く同じことが、少しちがった表現で出ているのだ けれど…。 岩波文庫『中谷宇吉郎随筆集』「天災は忘れた頃来る」に、先生の 言葉にはちがいなく、ペンを使わないで書かれた文字であるともいえる、とあ る。