桂平治の「源平盛衰記」前半2011/07/03 05:32

桂平治、久しぶりだ。 「源平盛衰記」は、十代目桂文治、伸治が長かった、 背が1メートルくらいの師匠の若い時分のドル箱だった。 「女給の文」や「反 対俥」は教わったが、「源平盛衰記」を習おうとすると「あの噺は骨が折れる」 と言った。 師匠は晩年、「源平盛衰記」はやらず、「やかん」をやっていた。  十代目が亡くなって八年目の来秋、平治は十一代目を継ぐと言って、拍手をも らった。

大月や秩父には、寄席がない。 寄席で近所に歓楽街のないのは、ここだけ。  隣が最高裁じゃあ用がない、最高裁に用があるのは羽賀研二ぐらい。 池袋演 芸場は、ある場所自体がいかがわしい。 No.1がシンドーさん、No.2がカワ ムラさんという。 シンドーさんは、鰐亀によく似ていて、恐い。 地下2階、 大震災で震度5が、震度6~7の感じだった。 落語家が最初に逃げ出して、 ひどく怒られた。 震度5より、シンドーさんが恐い。 逃げた落語家は、玉 の輔。 あたしは余り行かないが、歌舞伎町あたりへ行くと、隠しカメラにこ の顔が映る。 ウーパールーパーみたいな顔。 ポン引きと、大きなスリット のチャイナドレスの女が寄って来て「おビール飲んでらっしゃいよ」、4~5人 寄って来て飲むと、28,600円、No.1は胃が丈夫。 「驕る平家は久しからず」

木曽義仲は、入間川の辺で育った。 熊谷からちょいと入った妻沼という所 が、木曽義仲を助けた斎藤別当実盛のゆかりの地。 熊谷は今「くまがや」と いうが、「くまがい」が本当、JRの駅員に直せと文句を言ったら、「いやー、絶 対に、ナオザネー」。 年寄で潔い人はいません。 歌丸は倒れても、必ず復活 する。 その師匠の米丸は、八十六歳、毎日寄席へ来るのがリハビリ。 入れ 歯がマグネットになっていて、鉄の箸置、鉄の柱に、くっついちゃう。 白の 上下に、伊勢丹で買ったパナマ帽をかぶってやってくる。 呆けて亡くなった 噺家はいない。 そう一人いる、夢楽師匠。

小さんの葬式に、圓歌と伸治と橋本龍太郎、身長1メートルくらいのが三人 並んでいた。 橋本龍太郎は柳屋のポマードこってり塗って…、柳家の弔いだ から。 八代目の正蔵は名前を海老名家に返して、彦六になった。 ショウゾ ウ権は、写真だけじゃない。 その正蔵の真似、みんながやる。 盛りのつい た山羊の物真似「メェーーーーッ」、「お稲荷さんの鳥居が赤いのはなぜか? バ カヤロー、塗ったからだよ」 木曽の義仲に攻められて、平家十万の軍勢が雨 の中で野営をした…。