『コクリコ坂から』を観て2011/07/26 06:57

 恥ずかしながら、シニア千円でアニメ映画を観て、こっそり涙を拭いた。 高 校生の淡い恋が、終盤、うまく展開しそうになったあたりだ。 スタジオジブ リ、宮崎吾朗監督の『コクリコ坂から』である。  東京オリンピックの前年、1963(昭和38)年の横浜が舞台だ。 私が大学の4 年になった年だから、高校2年のヒロイン松崎海(うみ)は五つ下、お相手の3 年風間俊は四つ下になる。 同じ時代の空気を呼吸していた。 終戦後の民主 主義教育で育ち、新聞部や生徒会を中心にして、輝ける高校時代というものも、 ほとんど同時期に経験し、濃密な思い出になっている。 大学1年で1960(昭 和35)年の日米安保条約反対運動を経験し、この映画の時はまさにJ・F・ケネ ディ大統領の時代であった。

 物語は二人の通う高校の、旧制高校の寮の名残りの部室棟「カルチェ・ラタ ン」の取り壊し反対運動の展開とともに進む。 学園紛争の時期は、これより 少しあとのことだったから、私などには、「旧制高校」の雰囲気と「学園紛争」 の両面で、違和感があった。 問題の解決に、高校の徳丸理事長という人物が 登場する。 海(別に「メル」とも呼ばれるのはフランス語のメールmerだろ う)と、週刊「カルチェ・ラタン」編集長の風間俊、生徒会長の三人が、初乗り 30円の桜木町駅から、63形電車(これより前1951(昭和26)年の桜木町車両火 災事故で問題になった)らしい電車で、徳丸理事長が社長を務める新橋の出版社 に直談判に行く。 海の父が船乗りで、朝鮮戦争の折にLST(戦車揚陸艦)で死 んだことを聞き、徳丸は「カルチェ・ラタン」取り壊しの中止に動くのだが、 格好が良過ぎて、徳丸=徳間書店のヨイショが見え見えだったのは、ちょっと 残念だった。

 何か辛口の話になってしまったのは、最初に涙を白状した照れだったかもし れない。 映画を観た日の天気と同じように、爽やかな気分で映画館を出た。